2012年3月13日火曜日

ペットボトルのフタから見たその人の人生

僕の思い込みですが、たぶんそんなに間違ってないのでは?って話。

会社のゴミ箱のわきに「ペットボトルのフタ」専用回収ボックスが置かれています。たくさん集めて換金して寄付しよう!的な意味合いで。なので僕は100%、そこにペットボトルのフタを入れます。ペットボトルを捨てるときは。

でも、ペットボトル用ゴミ箱を見てみると結構あるんですよね、フタついたままのが。

ここで、よく言われる陳腐な言い方をするならば

「人間は2種類、フタを取るか取らないかだ」的な…。

普段の分別とかそういうレベルじゃなく、ペットボトルをポイッと捨てるときにフタを取る取らないってのは、ハッキリ全然手間ではありません。だからそこでフタを取らずに捨てちゃう人の気持ちが僕には正直良くわかりません。

が、想像するにこうだと思うんですよ。フタを取るか取らないかってのは

1.子供の時に見てたアニメの違い

2.子供の時に褒められた経験量の違い

この辺に起因してるんじゃないでしょうか?って。

1のアニメの話ですが、別にアニメに限らず、成長段階で触れてきた「ストーリー」全般と言っていいと思います。つまり、

・頑張ったら報われる、正直者が最終的には助かる、正義は勝つ、的な正当派ストーリー

・頑張っても報われない、正直者が馬鹿を見る、正義が悪かったり悪が正しかったり、的な無駄にリアルっぽいストーリー

のどちらに主に接していたかが、すごく関係してるのではないかと。もちろん前者メインの子供はフタを取る人に、後者メインの子供はフタを取らない人に育つような気がするのです。

前者はドラえもん、後者はエヴァンゲリオン(ガンダムでも可)を僕は連想します。後者が好きな人って中二病的ニヒリズムをずーっと引きずってますよね。いやホントに。

もちろん両者は交わらないわけでなく、現実的には必ずミックスされているわけですが、傾向的にどっちかっていうと…てな話です。

で、2の「褒められた経験量」ですが、これももちろん褒められた経験量が多い人がフタを取る人に、少ない人がフタを取らない人になるのではないかと。褒められ経験量って単純に回数ではなく質も大事なのですが、その辺はまぁ置いといて、あんまり褒められてこなかった人って褒められるような行為に対する重み付けがそうじゃ無い人と違うと思うんですよね。ちなみに「褒められた経験量」と「しかられた経験量」とは全然別物。

フタを取って専用回収ボックスに入れることがそんなに正義なのかと言われると、そのエセ・エコ的胡散臭さとか「その程度でいい気になってじゃねーよ」的意見とかあって、うーん…となりつつも、ハッキリ正義です。はい。間違いありません。そしてフタを取らずに捨てちゃう人はハッキリ悪です。

そんなことを思っちゃう僕は本当に視野の狭い男です。ではまた。

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