2006年8月30日水曜日

ご意見ありがとう

The KEY MAN「伏せ字」の件ですが、投稿しないことにしました。

いただいたコメントや意見を見たり聞いたりした上でそのように判断しました。コメントや意見を寄せていただいた方に感謝いたします。

賛同者がほとんどいないことは正直なところ残念でしたが、もともとの文章にも何点か問題がありました。今更問題をむしかえすつもりはないのですが、僕が真に問いかけたかったのは

相手を効率的に非難するために伏せ字を使うのは卑怯じゃないですか?

ということです。決して普段の会話やメールで伏せ字を使うことを非難しているわけではありません。現代の会話のツールとして伏せ字が定着しつつあるということは、僕も感じているし、よくよく考えたら僕もしょっちゅう使ってます。

でもこれが相手を非難したりバカにしたり誹謗中傷をしたりする時となると話は別です。しかもインターネットという公共・匿名の世界で。僕は勝手に想像するのですが、相手を非難するときに伏せ字を使うということは、「あれはクロタキのことだろう!」って責められても「違います。僕はク○タキとは書いたけどクロタキとは書いてませんが何か?」と反論する余地を残そうという気持ちが働いているということではないでしょうか。こういうのってモノスゴクかっこ悪いと思うのですが、いかがでしょう。

とりあえず、僕の考えは以上です。

あと全然関係ないですが、最近バイオリンを練習してます。決して「のだめカンタービレ」の影響ではありません。

2006年8月23日水曜日

市内大会ストーリー98 その4最終

市内04もう優勝は間違いない。選手には内緒で1人、ウチ・浜甲・学文の点数をカウントしてたからね。あとはフリーリレーだけだ。メンバーのうち野谷・沖田・黒田は確定している。問題はもう1人を誰にするかだが、前日のコーチミーティングでは新葉を使う方向で考えていた。(たぶん)僕だけは、もし立田が10を大きく切るタイムを100Frで出していたら、立田を使おうと考えていた。が、ここは新葉に頑張ってもらうしかない。なんてったって天下の関学中水泳部副キャプテンである。そのことを本人に伝えると、「やっぱりですか」と言った。自分でも薄々感じていたようだ。でも、そのおかげである程度ハラは決まっていたようで、なんとかやってくれそうな直感を僕は得た。

実は2週間ほど前、一部方面から田中を使ってほしいとの話があった。田中は本来ならアンカーを勤めるはずの男だ。でもアメリカ行きを決めた以上それはないと思っていた、本人も、コーチ陣も。でもちょうど2週間前ぐらいに、「田中をリレーでつかってあげてほしい」という動きが起きた。その当時は、市内が阪神へのステップレースである以上、田中・成田は個人種目にも出場できないということが決定されていたからだ。(日程の都合で、阪神に100%出れないと分かっている人間を市内に出すことはルール違反。)つまり市内では何にも出れないことになっていたのだ。(でも、結局田中・成田とも個人種目に出場。田中は阪神出場資格を得てしまい、ちょっとやばい、「腰痛で不参加」になる見通し。)そのときに僕らコーチ陣は3年生全員の意見を聞いて、全員から「田中・成田をリレーに出してもいいよ」という答を得たため、そのときは田中、成田は個人種目は回避して、リレーにのみ出場させるというプランをたてた。それならルール違反にはならないからだ。でも、その後2人ともケガなどでロクに練習できなかったため、リレーに使うプランは完全に自然消滅した。アメリカ云々は関係なく練習で100%頑張っていない人間をリレーに出すことは絶対にしたくないのが僕らの考えだからだ。特に田中に関してはクラブに対する姿勢にすごく非積極的な印象を受けたので、井上の怒りをかってしまった。僕は一方的に田中に非を押しつけるつもりはないが、あの態度では、たとえタイムが1分を切っていたとしても使うわけにはいかなかった。結局まだちゃんと話し合いをしていない。井上はあくまで「待つ」つもりのようだ。今度の休みの日にでも田中、成田と井上とでどこかに出かけてもいいかなと思う。(このときの田中・成田の話だけでひとつのストーリーになっちゃいます。またいつか公開しようかな。)I

フリーリレーのメンバーは一泳が沖田、二泳が新葉、三泳が野谷、四泳が黒田だ。予定通りのメンバーで臨むことに決定した。事前に仕入れてもらった情報ではライバル浜甲は一泳から順番に速い者を出してくるようだ。それならば最後の黒田がなんとか抜いてくれるのではないか、そういう考えがコーチ陣にはあった。4月の冷水から今までずっと、もっとも練習をよく頑張ってくれたのは間違いなく黒田だ。泳いだ距離ではチーム一だ。彼には今年はオレが頑張らないとだめだという、大黒柱としての自覚があった。だからまだ水の冷たい時期にも、みんながバタバタとリタイアするのを横目に必ず最後まで泳ぎ切っていた。これは「寒さに強い」それだけの理由ではないはずだ。それはきっとチームのみんなが分かっていると思う、口には出さないけど。(もちろん100%真面目にずーっと練習していたかというとそれは違うが…。)今年になってクロには「意気に感じる」ところが出てきたと思う。だからはじめのメドレーリレーでもあれだけ素晴らしいタイムを出してくれたのだろう。

みんなを送り出すときに、新葉に「やる気はあるか」と笑顔で尋ねたら、(相変わらずホントのホントはどう考えてるのか分からないけど)、めずらしく笑顔で前向きな返事をよこした。僕はなんとかやってくれると、実は結構ハラの中で燃えてるのではないかと確信した。

結果は4位。でも決して悪いレースではなかった。それぞれがその時点でのベストを出してくれたと思っている。新葉も横のコースの奴に追いついてくれたし、アンカーのクロもなんとか追い上げてくれた。沖田も浜甲のトップらには負けたけど、なんとか泳ぎ切ってくれたし、野谷も速かった。応援も最後まですごく充実していた。僕が理想とする「応援のクラブ」にすごく近づいたような気がする。お疲れさま。

ウチはまだまだ未完成なクラブだ。僕の理想とするクラブにはまだ遠いし、腹が立つこともたくさんある。でも、この試合で僕は一つの実感を得ることができた。「少しずつ進歩している」僕が長い間ほしくてほしくてたまらなかった種類の実感だ。去年、僕が2年半ぶりにプールに帰ってきたときに感じた、あのやるせない気持ちはもう感じない。水泳部が失いつつあったものを復活させたい。その僕の勝手な気持ちにこたえてくれるだけのチームに育ちつつある。

市内05この試合は全員が納得のいく素晴らしい試合だった。選手にとっては僕のエゴなんか関係ない。彼らには一試合一試合、より質を高めていって、自分たちが納得できるチームを作り上げていってほしい。それが僕の理想とするクラブに、だいぶ重なってきたから。ここからが本当のスタートだ。

<選手達へ>
何はともあれ、誰もやめずに7月5日を全員で迎えられたことに、
そして僕の練習をなんとか(不平不満は山ほどあったにもかかわらず)こなして、
一応は(笑)ついてきてくれたことに、本当に感謝しています。
今年は「全員同じチーム」という、あまり例のないシステムでやってきましたが、
僕はけっこううまい具合にいったんじゃないかと思っていますが、どうでしょう?
夏はまだまだ続くぞ!

--終わり--

��※現在のクロタキより)
 いやー、大げさでしたね。
 でもそういうバカっぽさって僕は大好きです。
 この後エピローグを書き下ろします。








2006年8月22日火曜日

市内大会ストーリー98 その3

市内03結局この試合でタイムが出なかったのは、立田の100フリーと森ちゃんの100Bバッタくらいだった。森ちゃんのバッタは、実際のところ僕としてはよく頑張ったと思う。短水のベストより10秒近く落ちてたので本人はショックを受けていたけど、長水のバッタってターンがない分、かなりタイムの落ちるものだ。ましてや長水でバッタを泳いだ経験がほとんどなかったのだから尚更だ。さらにこのレースでは折り返し違反で失格になったのもショックをうけた要因だろう。せっかく両親がビデオを持ってきてたのにね。「これからはバッタは捨てて、フリー1本でいきたい」てなことを200フリーのあとに言われた。駆け出しのペーペーもいい所なのに可愛いことを言うものだ。その気持ちはわかるけどね。

試合は順調に進む。今日の試合の応援で、もっとも良かったのは1500のときの応援で、約25分間、ナイスな応援ができた。1500の応援でこんだけきっちりしたものを見たのは、たぶんこれが初めて。本当に最後までみんなが一体となって応援しているのを見ていると、けっこう感動した。後で井上・稲垣と話していてもみんな同じ感想だった。新しい伝統の始まりになるような予感がした。ハタから見たら馬鹿みたいな話なんだけどね、1500m泳いでいる間(時間にして25分前後)ずーっとハイテンションな応援を続けるなんて。でも、僕はコーチになってほとんど初めて、このチームのことを真に誇らしく思った。

さて50フリーでは立田もまぁまぁのタイムが出た。けど惜しくも9位。結局彼はこの試合で1点も取れなかったけど、次の阪神大会ではリレーにでれるように本当に頑張ってほしい。っていうか頑張らせるぞ!

本日のメインレース、もうひとつは200フリーだ。これがメインレースたる理由は、もちろん網谷の阪神出場がかかっているからである。アミは目標である阪神大会出場に向け、本当に練習を頑張ってきた。4月頃は僕らコーチズ(というか僕だけかな?)と事あるごとに衝突を繰り返してけれど、6月頃からはメキメキと調子があがり、いつの間にやら立田や新葉を抜いてリレーメンバーほぼ確定の位置にまで上がってきた。手のかかる子供は可愛いということもあるのかもしれないけれど(笑)、僕はなんとか彼の目標をかなえさせてあげたかった。でも問題は200フリーには去年の有力なメンバーが何人も市内に残っているということだ。

コーチ陣は3人とも、レース前いつの間にか召集所近くに集まった。もちろんアミを激励するため。でも僕らの思いに反して彼はあんまり僕らとしゃべりたくなさそう。とにかく頑張ってくれと思う。同じ組にいた野谷と森には悪いけど、僕は(そして井上も)ほとんどアミの泳ぎしか見ていない。だから実は、レースが終わってから随分経つまで、野谷がそのレースで競ったあげく優勝していたことや、森のタイムは知らなかった。レースは最初、野谷を先頭に上位5人が飛び出した。これは本当に予想外で驚いた。まさか、野谷以外に4人もいたとは…。アミは結構マイペースなスタート。50mのターンの後、上位グループは野谷とその両脇2人のトップ3人と5,6コースの2人に分かれた。アミは現在6位。前の2人に追いつけるかどうかは微妙だ。その2人を抜かなければ阪神はない。アミのスタミナ、スパートにかけるしかない。スタミナには僕もアミ本人も自信がある。100mのターン後、前の2人との差は少しずつ縮まっているように感じる。でもまだ7mくらいの差。きびしい。ラスト50m、アミはよく頑張ったが前の2人もスパートしたため、結局6位。彼の200での阪神出場の夢は潰えた。

レース後、召集所のうしろの壁にもたれるように座り込む。なんだか大げさだけど僕は彼に「力は出し切れたか?」と尋ねた。彼はうにゃむにゃと曖昧な答えを返した。結果がついてこなかったから彼はイエスとは答えたくなかったのだろう。でも僕から見て彼はその時点のべストを尽くしたと思う。たぶんメドレーリレーで120%頑張ったんだろう。200で阪神にはでれないけど、その結果より大事なのはそのために積み重ねてきた努力なんだから。目標にむかって頑張ったことが大事だ。中学生時代の記憶は時がたつにつれて少しずつ薄れていくことだろう。でも今、本当に頑張ったことは、頑張ったことの存在の記憶は、必ず残る。400mでは阪神に行けるので、今度は阪神で1点でも取れるように頑張ってほしい。もちろんリレーも。

<※>網谷氏本人談
僕は200の前別に話したくなっかたわけではありません。200の後しゃべらなっかたのは、TIMEと僕の体力についてがショックだったからです。いくらMRの後で、中途半端に時間があいてたからとはいっても、あまりにつかれがでて、ばてたプラス遅かったからです。(プラスしんどっかった)

2006年8月19日土曜日

市内大会ストーリー98 その2

市内02試合は終始ライバルの浜甲、学文をリードする余裕の展開。てなことは選手には秘密だけれど。(僕は密かに各校の点数をチェックしていた)

そして100フリーの時間がやってきた。今日のメインレース2つのうちの1つだ。「メインレース」と言ってもそれは僕が勝手にそう思っているだけ。理由は言うまでもない。キャプテン立田が出場するからだ。僕は選手や出場種目に対してランク付けはしない。みんな大事なレースだ。だけどこの立田の100フリーは特別だ。

立田は今年から専門種目をフリーに変更した。ブレストのタイムが伸び悩み、本人も短距離のフリーには自信があったのでそう決断したのだ。でもすぐにまた壁にぶつかった。本人はキャプテンとして、泳ぎの面でもそれ以外の面でもチームをリードしたかったのに、なかなかそうできない。タイムが伸びないから練習にもいまいち気合がのらない。だから僕たちからは「キャプテンなんだからもっとしっかりしろ」と怒られる。そんなことは自分が一番よく理解しているのに。自分が一番悔しいのに。でもなかなか結果がついてこない。

立田をどうにかすることが僕のもっとも大きな課題だった。特にこの2週間。僕の日記には「立田を無理やりにでも速くして、リレメンに入れる」ということが書いてある。そしてそれ以上に、立田とこれまで以上の心のつながりを持つことが必要だった。要はなんとかして彼をホメてやりたかったのだ。

試合前日彼は「阪神大会にはいけんでもいいけど、ベストは絶対に出したい」と僕に打ち明けてくれていた。僕も同じ気持ちだった。練習中のタイムを見る限りは難しそうだったけど、試合という舞台で僕が、そしてチームが彼のアドレナリンをかきたてることができれば必ずベストは出るものだと信じていた。

結果は出なかった。僕にとっても、彼にとってもショックなタイムだけが残った。周りのメンバーが好調でベストを連発している中なので余計につらい。何故だろう?何でだろう?僕もそう思ったし、彼もそう思っていたはずだ。トボトボとうつむきながら自陣に戻ってくるのを見るのは嫌なものだ。僕が言葉をかけるより先に彼が「ストレッチ行って来ます」と言って裏の倉庫に入った。30秒ほどしてから僕も入ると案の定ストレッチもせずに、仰向けになって伸びていた。悔しそうに両腕を顔の上に乗せて。僕がいるのに気づくと腕をおろして僕の方を見る。胸がつまる。

このとき彼にむかって僕がなんてしゃべったのかはあまり覚えてない。ただひとつ「今日のお前は最高のキャプテンやから、この後もこの調子で頼むぞ」と言ったことだけは覚えている。それ以外には何もしゃべれなかったかもしれない。

次のレース(トラバリーの100Baだった)が始まるころには何事もなかったように、気合の入った声でチームに活を入れ応援を頑張る彼を見て僕はかなり救われた。

市内大会ストーリー98 その1

市内011998年7月5日(日) at 西宮東高校プール

気持ちよく晴れ上がった天気、時々は涼しい風も吹く。夏の試合にはこれ以上ないというくらいナイスな天気だ。この2週間、僕らコーチズはチームワークの重要さをいつも以上に強調しまくった。この中学部水泳部にあって、水泳は団体競技だ。これは僕が現役時代から言い続けてきた、僕のポリシーだ。速いヤツだけが主役じゃない。レースの結果でチームに貢献できなくたって、それぞれに何かできることがあるはずだ。

僕がコーチになってからというもの「何事もない日」は皆無だった。毎日何かの事件があった。僕もつらかったけど、みんなもつらかったはずだ。でもなんとかチームとしてまとまってここまで来ることができた。4月の冷たい水の中で泳いだことや、冬の陸トレや、そういった経過のとりあえずの帰結が今日なのだ。そう思うと少しだけ感慨深い気持ちになる。でもシーズンはまだ始まったばかり。そう今日が開幕戦なのだ。

なかなか気合いの入った良いミーティングのあと、嬉しいシーンが一つ。キャプテンの立田が1年生に応援の仕方を教えていた。誰に言われるまでもなく、そういうことをしてくれると非常に嬉しい。「今日はチームで頑張るぞ!」という雰囲気がチームにできたと思う。

最初の種目はメドレーリレー。市内大会はすべてタイムレース、つまり一発決勝だ。メンバーは沖田・黒田・野谷・網谷。昨日、僕らが決定したメンバーだ。結果は浜甲子園中学に追いつけず2位だったものの、チームは最高のスタートを切れたと思う。肩を痛めているエース野谷のベスト。黒田もいきなりのベスト。アンカーの網谷は、ビックリするくらいのスパートを見せてくれて、これも大ベスト。最後、浜甲のアンカーを猛烈に追い上げてくれた。いきなりこれだけベストを出してくれると、僕としては「いい調整ができた」と思えて単純にとても嬉しい。とにかくイイスタートが切れた。応援もホントによく盛り上げてくれた。1年生はまだ慣れてないからいまいちだったけど、残っていた3年生と森、永田を中心に息のあった応援を見せてくれた。今日はいける。そう思わざるを得ない雰囲気、でもどこまで持つものか…。

野谷は両方のリレー、そして個人の100フリー、200フリーと全部で頑張りつつ、応援もしっかりとやってくれた。普通スイミングで育った人ってなかなか「本当には」応援してくれないんですが野谷は違う。今日はホントにチームのために尽くしてくれた。沖田も見習ってほしい。そんな野谷もかつては「チームのためだからと言って自分のコンディションが崩れるのは嫌だ」と言って僕と衝突したことがあった。でも最後にはチームのために頑張ることの重要さを理解してくれたと思う。そうなると僕らコーチズはその上で彼個人が良いコンディションでレースにのぞめるようサポートしたいと思う。正直、優勝を狙える自分の個人種目の直前まで全力で応援する必要はない。だからさりげなく、そうはさせない。でもそうしようと思う気持ちが何よりすばらしいと思う。

ナイスな応援は続く。アミが帰ってきて記録ノートを書く仕事をする。でも応援の時にはみんなの後ろから大きな声を出す。積極的なリードを見せた。ノートを書きながら応援する人ってなかなかいない。素晴らしい。黒田もよく応援をリードしてくれた。次は誰々が応援する、っていう取り決め無しで、自然とみんなが積極的に応援してくれる。時には森ちゃんが、永田が、アミが、クロが、ナリが、新葉が、野谷が、そして立田がリードする。いつからこんなに応援するようになったんて感じ。僕はだんだんこのチームに対して誇らしさを覚えてきた。

ただ、やはり1年生はあんまり参加できてない。この試合の中の反省点は1年生と1年生に対する2年生の指導。でも2、3年生の応援は本当に良かった。気持ちがビンビン伝わってくるような応援だった。

市内大会ストーリー98 序章

市内大会ストーリー1998

classの「夏の日の1993」も復活したことですし、僕が綴った昔話を再構築してここに連載してみます。オリジナルは98年7月6日に書きました。全部で5回程度を予定しています。またこれが終わったら1999年の市内大会ストーリー、阪神大会ストーリーも控えているのでお楽しみ(?)に。

登場人物の名前は仮名です。

��登場人物>

立田…3年生で98年チームのキャプテン。専門はフリー(自由形)。最後の夏にかけているがなかなか調子が上がらず伸び悩んでいる。果たしてフリーリレーのメンバーに入れるのか。

新葉…3年生で98年チームの副キャプテン。専門はフリーとバック。普段はクールでなかなか感情を表に出さないが、チームのために後輩の面倒を良く見てくれている。立田同様伸び悩んでおりリレーメンバーに入れるかは当落線上。

網谷…3年生で98年チームのマネージャ。専門はフリー。市内大会前に急成長しリレーメンバーの座はほぼ手にすることができた。中3にしては自分の考えをしっかりともっており、そのせいかコーチと意見が衝突することもしばしば。

黒田…3年生。専門はブレスト(平泳ぎ)。ちょっと生意気だけれど練習は人一倍頑張ってきたチームの中心選手。レース直前は緊張のため「胃潰瘍」になるが、泳ぎ始めると本番には強い。

田中…3年生。専門はバック。フリーの実力もかなりのもので本来はフリーリレーのアンカーを務めるはずだった。しかしこの夏の海外語学研修のため大会の数日後から一時期チームを離れることが決まっており、それが様々な影を落としている。

成田…3年生。専門はフリー。田中同様、語学研修に。語学研修に行くことが決まったときは田中ともどもコーチ陣との間で葛藤があった。筋肉質。

野谷…3年生。専門はフリー。チームのエース。スイミングスクールとの掛け持ちで大変だが、チームのためにも頑張ってくれている。チームにあって唯一大人扱いできる人格者。

沖田…2年生。専門は個メ。全国クラスの実力の持ち主で、野谷同様スクールとの掛け持ち。成績がいまいち。

その他の2年生…稲田、滝村、永田、森

その他の1年生…鈴木、世良、津幡、平井、森崎

井上…コーチ。ずっとこのチームを支えてきた頼れるコーチ。僕の1年後輩で、現役時代は同じブレスト専門だった。

稲垣…新人コーチ。この年の春から新たにコーチとして加わった。専門はど迫力のフリー。

僕…チームの(一応)ヘッドコーチ。前年秋から急遽ヘッドコーチとしてチームに参加。参加当初にあった一部選手たちとの溝もだいぶ埋まってきたところ(笑)。

��市内大会について>

・個人種目・リレー種目とも上位に入賞すると、上位の大会である阪神大会に進むことが出来る。
・阪神大会の上は県大会、近畿大会、全国大会へとつながっている。
・シーズンでもっとも大事な試合の1つ。と同時にシーズンの開幕戦でもある。
・関学中水泳部はここまで6年連続優勝。7連覇なるか!?

尚、使われている写真は市内大会のものとは限りません。

2006年8月18日金曜日

休暇中

5ac887b3.jpgただいま休暇中。

これから西宮北口で水泳部の集まりです。

ちなみに日曜までいるのでヒマな方は是非ご連絡ください。では。


2006年8月9日水曜日

ショック

今、家に帰っている途中。乗り換えの駅で人が倒れていた。若い男、たぶん酔っ払い。

すぐよこのベンチには人が座ってる。近くに立っている人も結構いる。全員無視。もしくは遠巻きに凝視。・・・唖然。

大丈夫そうじゃないけどとりあえず「大丈夫ですかー」と大声で問い掛ける。返事なし。でもどうやら酔ってるだけみたいだ。仕方ないから「駅員よんできますねー!」と空間にむかって虚しく叫んでから、駅員をつれてきた。

戻った時も状況に変化なし。無視か凝視。

ここは何て居心地の悪い惑星なんだ。

2006年8月7日月曜日

ネガ・フィルム

もとネガ.jpg8月なので(?)昔のフィルム写真を整理しています。

水泳部コーチ時代のものやそれ以外やいろいろ。紙の写真を大量にスキャンしています。ここで問題は写真がなくてフィルムだけが残っている場合です。以前は写真ショップに持っていってフォトCDにしてもらっていました。今回もそれを検討してはいますが、けっこう高いんですよね。その割に質もイマイチだったりする。富士フィルムのサービスだと4Baseといってデジカメで言うと200万画素相当のデータにしかならないんです。今時これではちょっとね。

そこでいろいろネットを調べていたら、ひとつおもしろい方法を見つけました。そうしてネガフィルムをデータ化したのが左の写真たちです。それなりに見れるでしょ?

どうやったのかというと、一番したの写真にあるように、台所の蛍光灯にネガフィルムを貼り付けて、デジタルカメラでマクロ撮影したんです。もちろんそれだけだと色が反転状態なので、画像処理ソフトで反転とかガンマ補正とか色調整とかしています。僕の腕だとこれが精一杯でした。

元の写真が「写るんです」で撮影したのものだから、そもそも解像感は低いので、イマイチ評価しにくいのですが、印画した写真並みの解像感は出てるのではないでしょうか。IXY 55なので500万画素で、切り取りとかした結果2400×1800ぐらいのサイズでは切り出せてます。ここに載せた写真はいずれも800×600に縮小してるので、下に元の大きさのままのダイ君の顔を載せています。ちゃんと判別つくものね。(それにしてもダイはいつもいい顔で写るよね。僕が撮影してるところに気付くスピードでは水泳部イチでした。)

もとネガ_dai.jpgちなみに、この2枚の写真は1998年の県大会です。場所は姫路。下の写真はオキタが表彰されているところですね。ということは2日目で、オキタ以外の2年生は青島に行っているときです。史上初県大会2位という成績だったのですが、それよりもその総合の表彰状を誰がもらいに行くかでいろいろと事件が起きた大会でした。いろいろあったなぁ。このときの2日間だけで3ヶ月ぐらい連載できそうですよ、ホント。

てなわけでデジカメを使ったネガフィルム・スキャン術なのですが、大きな弱点がひとつ。それは「APSはどうしようもない」ということです。それにたくさんあるフィルムをすべてこの方法でスキャンするのも非現実的というものです。

というわけで今考えている策は、フィルムスキャナーのレンタルです。ネット上でレンタルしてるところを見つけました。最近の普通のスキャナーでもフィルムのスキャンには対応しているのですが、画質的にはイマイチ(キヤノンのも含めて)らしいので、これはやはり専用機でやろうかなと。

また使ってみたら記事にしてみます。

もとネガ_だいどころ.jpgこれが今回の撮影場所。台所の上についている蛍光灯。旨い具合にカバーがついていて、光量的にもちょうどでした。

みなさんも是非お試しください。ではまた。

2006年8月5日土曜日

思い出の子供たち

昔のこと。僕は浜学園の先生でした。

浜学園というのは関西では最も有名な進学塾です。灘中学や灘高校に何人合格させたとか、何年連続日本一とかそういうところ。僕自身も小学校4年生から6年生までの3年間通いました。

僕は大学の4年間、浜学園の先生をメインのアルバイトとしていました。その経験は水泳部コーチとはまた違った良い思い出として心に残っています。先生として生徒と黒板に向かっているときは、お金のことなんてどうでもいい、ぐらいに思っていました。が、実際にはお金はすごく良かったんです。当時の僕はアルバイトの時給の話をするのが嫌なぐらい、いいお金でした。1時間講義をすればだいたい5000円くらい。夏期講習時期なんて1日で8時間=4万円なんてこともありました。

時給は生徒のアンケート結果で決まります。全員がレベル3の「まぁまぁよくわかる」だと点数は60点となり、時給は最低ランクの2600円に。全員がレベル5の「よく分かる」だと100点で、時給は6000円ぐらいに。実際はアンケート点数以外にも、テストやテキストの作成による貢献ポイントが加味されて時給が決定するのですが、僕はだいたい平均して5000円~6000円の間でした。ちなみに2ヶ月契約なので、2ヶ月ごとに時給は変動します。

でも本当にお金のことは抜きにして、僕は僕なりに一生懸命「プロ」として頑張ったり工夫したりして教えていましたし、それ以上に楽しませてもらいました。

僕は算数の先生で、主には小学4年生や5年生を担当していました。小学5年生のHクラスが使う復習テストを2年間作成していたくらい。これって結構大変でしたが、なかなか名誉なことです。ちなみにテストは1本7000円で、年間40本を作成していました。3年生や6年生を担当することもたまにはありましたが、やはり最も印象に残っているのは4年生と5年生のクラスです。場所は西宮や十三、伊丹や上本町、芦屋、などなどいろんなところで教えていました。

一番思い出深いのは十三教室の子供たち。小学4年生と5年生を3年連続で担当したので、ある学年とは2年間の付き合いとなりました。十三教室はあまり大きくないので、この学年のほぼ全員を僕は覚えていました。上のSクラスから下のクラスまで度々教えていたんです。小5のSクラスの子たちからはパーフェクト(アンケート100点!)をよくもらいました。

こういうのって自慢じゃなくて、本当に懐かしくていい思い出なんですよね。

��年生になってからも時間外の質問受けとかよくやっていました。だって関学を目指しているなんて聞いたりとかしたら放っておけないじゃない!自分のクラスじゃないからアンケートにも反映しないし、時間外は完全にサービス残業だから、お金的には全くメリットないんですが、僕はこういう時間が本当に大好きでした。ある女の子のお母さんから個人的に感謝のお手紙をいただいたりとか、なんとも嬉しい。そういえば5年生のクラスでは女の子の交換日記のメンバーに入ったりとかして楽しかったなぁ。毎週の復習テストの実施時間中を利用して、交換日記に書き込んでいました。他の先生の話とかが、女の子らしい辛辣な表現で書いてあったりして面白いやら怖いやら。あと他愛もない話。僕の得意な(笑)キュートなイラストはとても役に立ちました。

兄妹で僕が教えた子たちもいました。僕がいる期間中兄が小4、小5、小6。妹が小3、小4、小5。2人ともとても可愛らしく、僕になついてくれていました。特に兄はもともと関学志望だったので尚更愛着がありました。ところが兄は小6の夏以降成績が伸び悩み関学はかなり難しい状況に。結局は急遽社会科を勉強し始めて関大に志望校を変更しました。それでも結構難しい状況。でもなんとか合格!その連絡を事務所のおばさんから聞いたときは、事務所のおばさんともども泣きそうなくらい喜びました。だって一生懸命頑張る子は応援してあげたくなるじゃない。

実はこの子が中2のとき、阪急京都線の電車の中で偶然会ったことがあります。向こうももちろん僕のことは覚えてくれていて、久しぶりに見た彼はずいぶんと背が伸びて、はやくも制服が窮屈な感じになっていました。こういうのって最高に嬉しい。彼ら兄妹とはその後もしばらくは年賀状のやりとりがありました。妹も可愛らしい子だったなぁ(もちろん交換日記のメンバー)。

十三教室の子で甲陽中学に合格した子もいました。小5時代はSクラスで成績はいつも良くて、宿題ノートの綺麗な字にいつも関心していた子です。彼とは彼が中3のとき甲関戦のプール会場で再会したのが良い思い出です。

あと関学に合格したマツオカ君も懐かしい。とても大人しい優等生でした。中学部で久しぶりにあったときにも、まだ僕のことろクロタキ先生と呼んでくれたのが良い思い出です。彼はモリ・ナガ・イナ・ムラ・オッキー(結局全員書いてしまう、なんとなく)の学年だったはず。ということは来年から社会人か…。光陰矢のごとし。

・・・

実はついさっきまで僕が昔書いていた「独り言」を読んでいたんです。だから今回は、当時の独り言みたいなテイストの文章になってしまいました。当時21の僕はこんな風に思ったことをそのまま率直な言葉で語っていました。また機会があればそのうちのいくつかを選んでここに載せてみようっと。

なつかしい99甲関戦にてそろそろ眠くなってきたので中途半端に終了・・・

このブログでは非常に珍しい僕いりの写真。

2006年8月4日金曜日

隅田川の花火

隅田川花火先週土曜日はカイシャのセンパイんちから隅田川花火を鑑賞しました。主目的に花火を見るなんて相当久しぶりです。

ところでブログって何のために書いているのかというと、自分自身の日記のためです。後から見たときに「あーそういやそんなんもあったっけ」って思うためです。僕は後ろを振り返るのが好きなもので。昔のカモノハシ通信や「独り言」を読むと本当にいろいろ書いてあって懐かしいやら恥ずかしいやら。そういうのが結構好きなのです。ネット上の日記というかコラムというか記事を書き始めたのが1997年12月からなので、結構な期間でしょ。

さて隅田川花火。センパイのヤギヌマさんちマンション14階から見させてもらったのですが、想像以上に大きく見えて大変満足。皆さんは思ってたより小さいと言ってましたが、それは贅沢というもの。もともと僕は花火大会に出かけていって至近距離から見たことないからかも知れませんが。

それにしてもマンション14階って高いですよ。うちなんか3階だからもう世界が違う。購入するときの優先事項って人によって違って、僕は景観はかなりローポジションだったのですが、ちょっとうらやましい。

花火大会って「いつ終わるのか」を気にしながら見てるような気がします。そろそろな時間になってくると特に。ばばーっと連発であがると「あ、終わりかな?」って思っちゃいますよね。でもしばらくするとまた上がる。でまた「終わりかな?」って思う。の繰り返し。こういうところからも花火って儚いというか切ないですよね。華やかさと切なさという相反する要素が同居しているのが花火が人の心をひきつけている理由なんでしょうね。およげたいやき君も、最後に食べられるから人の心をひきつけるんですよね。同じです。(ちがうか)

2006年8月3日木曜日

電話の写真たち

携帯写真たち.jpgいろいろと書きたい記事は多々あるのですが、ふと思いついたのでこれ。最近、携帯電話で撮影した写真たちです。最近というのはこの半年ぐらい。

携帯電話にデジタルカメラが当たり前のようにくっつくようになって久しいですが、当初世の中が盛り上がり初めていたころは「携帯電話にデジタルカメラなんて…」と相手にしていなかったクロタキが…ね。結果的にとても便利です。性能的にももはや2,3年前のデジタルカメラを凌駕しています。僕が昔使いまくっていたデジタルカメラなんて30万画素でしたからね。それが携帯電話で400万画素の時代です。

そう僕の携帯電話はドコモのD901iS。400万画素のカメラがついてます。実質画素数は200万画素なので、普段は200万画素モードで撮影しています。ホントに綺麗にとれます。明かりが足りないとブレやすくなるのは携帯電話なので仕方ないのですが、それでも意外としっかりとした画像を記録してくれています。ちょっと前のカレーうどんの記事の2枚目の写真は携帯電話で撮影したものなのですが、暗くても結構綺麗に写ってますよね。

ほかにはビートだらけの記事で使っているビートの写真はすべて携帯電話で撮影したものです。IXYを忘れたんですね。でも立派に代わりを務めています。

さてさて左上はカイシャの自動販売機であたりが出たときのもの。これすごいっすよ!なかなか当たらないんだもの。半年間でこの1回しか当たったことがありません。こういうときにさりげなく撮影できるのが携帯電話のいいところ。(本当にさりげなかったかどうかは怪しいところですが)

右上は行きつけの洗車ショップで見かけたランサー・エボリューション・ワゴンです。車自体が希少なのに、この格好はかなりしぶい。シートもレカロだし、追加メーターもたくさんついていて、走るのも速そうでした。おそらくはVARISというパーツメーカーのデモ車両です。

左下は品川近辺で目撃したエスティマのパトカー。パトカーって意外といろんな車種があります。特に警視庁は。RX-8のパトカーや、RX-7(これは千葉だったけ)のパトカー、さらには首都高速に出没することで有名な三菱GTOのパトカーも。このGTOパトカーはピカピカ光るメタリックの下品なアルミホイルをつけていて「んなものを税金で買うなよな。本当にいいかげんにしろ!」と言いたくなります。高性能車が必要なのはわかるけど、オプションに凝る(しかも下品)だなんて信じられません。

右下は僕の車のブレーキキャリパー。こないだ自分で赤く塗装したんです!ちょっとバカっぽいですが、なかなかカッコいい。ちゃんと脱脂スプレーをして、1回目の塗り。1週間後に2回目の塗りを行う念の入れ様。かなりバカみたいですね。ちなみにキャリパーは純正の(つまり買ったときのまま)ものです。ちなみにローターがD SPORT、パッドはBRIGです。サーキット用のタイヤ(アドバン・ネオバ)をつけてるときはタイヤのグリップがブレーキにマッチして、ロックする気配は全くなかったのですが、普段用のタイヤ(ブリジストン・プレイズ)だと、ブレーキがタイヤに勝っていて、きついブレーキングだとタイヤがズっている感じがしています。

てな感じっす。