佐伯祐三展を見た

珍しく美術館に行ってきました、1人で。見たのは佐伯祐三展。結論的から言うと、大変おもしろかった。美術館は1人で行くにかぎりますね、たぶん。暇だったので思う存分1時間半ぐらいかけて鑑賞してきました。

佐伯祐三さんはパリを愛し、30才にしてパリで亡くなった天才画家です。展覧会では彼の学生時代から年代順に130枚以上の絵が展示してありました。

��人の作家・芸術家を年代順に丁寧に見ていくと、そこにいろいろな思いや成長の跡を見ることができて興味深いです。

以下、僕の独自の印象・感想・暴言です。その点をじゅうじゅう留意の上、読んでください。また写真はすべてGoogleの画像検索で見つけたものです。

若い頃の佐伯青年はナルシスティックな自信家であったようで、それが特に現れているのがこのイケメン風自画像ではないでしょうか。東京芸大の卒業制作だそうです。これ、1920年頃ですよ。
イケメン自画像

しかしパリに渡ると自画像がこんな風に激変!「立てる自画像」
立てる自画像

なんだか気の毒なくらい落ち込んでいる風に見えますが、実際、パリの有名画家に自分の作品を批判されたためだそうです。でもそれを機に、佐伯さんは自分独自のスタイルをつかんでいきます。

そして完全に自分のスタイルをものにしたのがこの1枚。「壁」です。
壁


これがとても評価されたらしく、しばらく佐伯さんはこの画風で壁の絵を量産します。「ほめられて嬉しい!」という気持ちが感じられる絵も多かったですが、その反面、僕は壁の内側の暗闇にこそ、この人の本当の気持ちは反映されているのではないかなどと、たくさんの絵を見ていて思いました。

と言うのも窓が黒塗りで表現されているケースが多いから。その窓の中に何か不気味なものを感じます。

さらに彼は壁にプラスして壁に貼られた広告を芸術的に描くことに成功します。そしてそれは新しい彼の武器となり、壁と広告の絵は晩年まで彼にとっての重要なモチーフとなったようです。
ガスとうと広告


こんな風にようやく自分のスタイルがつかめたかと思ったら、日本に呼び戻されてしまいます。日本での数年間は彼にとって芸術的に満たされない日々だったらしく「ここには僕が描くべきものがない!」などと怒っていたそうです。

たしかに日本滞在中の絵はどれも破棄がなく、いまいち美しくない。僕は気付いたのですが、日本の街を描いた風景画にはどれも電柱が異様なまでの存在感を持って描かれています。

たぶん佐伯さんは「こんなに電柱ばっか立てやがって。バカじゃないのか日本人」などと憤りながら日本の町並みを眺めていたのではないでしょうか?
日本は電柱ばっか


そして彼はまたパリに戻ります。パリに戻った直後の絵などを見ると、そのときの彼の興奮が伝わってくるかのようです。絵のトーンは相変わらず「どよーん」とした曇り空ばかりですが、それまでにない「明るさらしきもの」がちょっとずつ感じられるようになります。

また得意の壁や広告の絵を生かし、こじゃれたカフェの外観や店内を描いた作品も多く生み出され、大変いい感じです。2つほどすごく気に入った絵があってポストカードで購入しました。ここで紹介したいのですが、残念ながらGoogleで見つからず(笑)。

そして最後のコーナーは亡くなる前の最後の3ヶ月間。意外にたくさん展示されていて迫力がありました。佐伯さんの芸術のまさに集大成的な作品群となっていました。

その中で特に気に入ったのがこちらの絵。「空が青い!」ってのが驚くべきポイントです。ここまで青い空は他の絵では1枚もありませんでした。
煉瓦焼


そしてこれが最も最後の方に書かれたと思われる作品「黄色いレストラン」。彼は30才にしてパリで亡くなるのですが、最後の最後にやっぱりこういうのを書くのか~と。それまでの130枚あまりの作品のまさに集大成となっているように僕には見えました。その黒く塗りつぶした窓の中に、彼は一体何を見ていたのでしょうか?
黄色いレストラン

と、こんな感じで大変興味深く、じっくりと鑑賞してまいりました。やっぱり自筆の本物の絵を見る、という行為は特別ですね。ここに載せた絵とは色合いからして結構違ったりしますし。

明治の時代に、日本とパリを往復した天才画家の数々の作品は、日本とパリにとってかけがえのない財産であるような気がします。


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