「常識」は大事。
昨今では勉学を学ぶことよりも、「常識」を学ぶことの大切さの方が強調されている感じすらあります。一般社会においてはどれほど頭脳が優秀でも「常識」のない人間は問題視され、評価もされません(あくまで一般社会ではね)。
僕も「常識」の重要性を否定するものではありません。と言うかむしろ「常識」こそ全てと思っていた時期も僕にはありました。そこさえキチンと抑えておけば、人生そうは失敗しないはずだとも思っています。我々は子供の頃から「常識」の大切さをこれでもかというほど教え込まれてきました。
最近はまた「非常識」な人間が増えたからこそ、以前にも増してより「常識」の大事さがクローズアップされていると思います。
「常識」は大事。「常識」から外れたことはするべきではない。これは事実だと思います。
「非常識」の領域で生きている人たちも
ですが「常識」から外れた領域でしか生きられない人や、その領域でもがき苦しんでいる人がいることも事実です。
「常識」のメガネを通して見れば「非常識」ともとられる世界が、現実には思いのほか多く存在しています。我々のすぐそばに。
冒頭の本の中で、そのお医者様は例えば「子を望む子宮を持たない女性が、自らの卵子と配偶者の精子を用いて、実の母を代理母として子を得ること」について言及されているのですが、それはいわば「非常識」の領域です。でもそんな渦中に置かれている人にも、それぞれ一人一人の人生があります。ひとくくりにして「『常識』から外れてるからアウト」と切り捨てられるわけがありません。
ただ「非常識」のすべてを許容していたら社会は成り立たない、とも思います。先ほどの代理母の例で言えば、例えば「未婚の女性が何らかの手段で誰かの優秀な精子を入手し、それを持って海外の代理母に子を産ませる」とかそこまで行くとさすがに「アウトでしょ!常識的に考えて」とか思ってしまいます。うーん、結局ここでも「常識」が出てくるんだよなぁ・・・。
常識と非常識の境界線は結局人間の主観によるわけで、それこそ一概に括って語れるものではないのかも知れませんが、自分の「常識」だけに縛られるばかりに、「非常識」の領域で苦しんでいる人たちへの想像力をOFFカットしてしまうのはとても良くないことだと思うのです。
弱き立場の人たちに優しい社会であってほしいものです。ではまた。
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