コロナさわぎに感じる悔しさ

外出自粛が叫ばれまくってる昨今。また明日から夫婦して電車に乗って都内に出勤する我が家庭はいわば「負け組」ですね。これは皮肉です。

「目に付く世論」はこんな風潮になってきました。若干大げさに書くとこんな感じ

・学校再開なんて信じられない!
・外出するなんて人殺しと同じだ!
・リモートワークが許されない会社なんてダメだ!

普段は常識的なコメントを発信している有名人の方も同様のことを言っているケースを多々目にします。

・・・。

残念な気持ちです。

共働き家庭は学校(学童や保育園)に頼らざるを得ません。

リモートワークができれば良いとは思いますが、そうもいかない職種だってたくさんあるでしょう。現状リモートが実現できてる会社員は5%〜10%程度みたいですし。それこそ医療関係者や学校関係者、彼らが出勤して活躍してくれているからこそ今なんとか社会がまわっています。その他、金融関係、システム関係、流通関係、製造関係などなど自宅じゃどうしようも職種なんて山ほどありますし。

週末の外出自粛に触れて外出している人を批判するコメントも散見されますが、平日にはたくさんの人が外出(出勤)せざるを得ないわけですから、なんともチグハグな印象を受けます。

そりゃ新橋の飲み屋でわいわいやってるのは論外だとは僕も思いますが・・・。

・・・。

「子供の命と天秤にかけてそれより重いものなどあるのか!?」みたいな極論を言われるととてもつらいです。子供の命より大切なものなどありませんよ。そういう問いを投げかける人には、もう少し地面に近い所まで降りてきていただいて現実的な目線に立った発言をしてもらえないかとお願いするほかありません。

会社をやめたり休職したりして子供の世話をすることは可能です。それを選んでいる人も中にはいらっしゃるでしょうし、その決断は尊いです。

しかし世の中の大部分の方はそうしたくてもできません。たとえ会社から休暇をもらえる立場であろうとも、職種的に休めない人だっています。上でも書きましたが、云わば誰かの「犠牲」の上に、社会は成り立っているのです。そのことを忘れてはいけない。

そう考えると、上に書いた「世論」を声高に叫ぶ人たちには、何かしらの視点が欠如しているように感じてしまうのです。

・・・。

いつだってそうですが、世の中が大変になればなるほど、世界は生きづらくなってしまいます。物理的に心情的にも。「他者への思いやり」が表面的な偽善に成り代わり、人々の心の余裕は失われ、他罰的で狭量な社会が生まれがちです。

今がまさにそう。

まず我々がやることは、他者への安易な批判コメントをやめることかも知れませんね(^_^;)。

明日は子供の入学式です。少人数化、分散化など工夫して開催までこぎつけてくれた関係者の皆様に感謝。その後しばらくは休校となり授業はありませんが、小学校および学童で子供は受け入れてくださるので結局毎朝通学することになります。本当にありがたいことです。

明日はどっちだ!?

頑張っている人を応援しつつ、なるべく人様に迷惑をかけないように生きていきたいものです。


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