感謝の気持ちを燃料にして

先日、保育園のとあるママさんからいきなりお菓子と靴下(これは息子用の)をいただきました。僕が撮影した運動会などの写真をいたく気に入っていただいてるとのことで、「写真をたくさんアルバムに入れてます。本当にありがとうございます」と心を込めて言われるとこちらとしても目頭が熱くなります(^_^;)。

人それぞれ違うでしょうが、誰かからの感謝は間違いなく僕にとって、とっておきの燃料になります。これでまた週末の「お楽しみ会」のカメラマンも頑張れるというものです。

やはり感謝の気持ちは言葉にして伝えないといけませんよね。僕も日々感謝の気持ちを保育園の先生方に伝えてはいますが、たまにはもっと心を込めて丁寧に伝えないとなと思いました。本当に皆さんよくやってくださっていて、本心から頭が下がりますもの。



無償の行為は無償ではない


学生時代のコーチ業や保育園でのカメラマン、それこそ阪神大震災のときのアレなど、まあまあそういうボランティア(って言葉は好きになれないのですが)的な無償の行為にどっぷり取り組んできた僕なのですが、やはり思うのは、そういうのって究極的には間違いなく「自分のため」にやっているものだということ。

別に「誰かに感謝してほしいから」やってるわけではありません。でも結果的になんだかんだで最終的に自分がいい気分になることに喜びを感じているからこそ体は動くもの。学生時代はそれをよく自虐的に「偽善者だから」とか言ってきましたが、これを「偽善」と言うのはやっぱり間違いです。

だから無償の行為だなんてあり得ないんですよね。実際のところ、たくさん得てますから、燃料を(^_^)。

むしろ逆の意味でとらえるのが正解かも…。無償の行為って絶対に無償じゃ済まないって言うか…(つまり、こちらからの持ち出しが結構あるのが普通って言うか)。そんなことをグチってるうちは僕はただの小物ですな(^_^;)。

週末土曜日は朝から保育園の「お楽しみ発表会」。息子が踊るのを見るのも楽しみですし、カメラマンとしても頑張ってこようと思います。ではまた!

僕のファンが撮影してくださった僕(^_^;)

「偽善者」で検索してでてきた書籍。こうまで言われると読んでみたくなりますね(^_^;)


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