2012年6月11日月曜日

逃げ口上

梅雨ですね。先日行った京都御所の庭でならば、ゆったりとした気分で雨を楽しむこともできましょうが、都会のコンクリートジャングル(死語)に降る雨はただただ僕の心を暗く湿らせます。なんちゃって。

そんなわけで気分の暗くなるような話。

車か何かのテレビCMで流れていたこの明るく前向きな歌がみょうに僕の心に引っ掛かっているのです。

「越えらんないデカイ壁は、ぶつかってぶち壊してやれ~♪」

元歌を知らないので正確な歌詞はわからないのですが、こんな感じの歌でした。

・・・

■天才について

僕が人生で初めて感じた、そして今も感じ続けている「越えられない大きな壁」とは一言で言うとこうです。

「天才的に頭の良い人たち」

僕は小学生のときに衝撃的な体験をしました。

小学生の頃の僕は一般的な意味合いで言うと大変よく勉強ができ、当時通っていた進学塾でも上位のクラスに在籍していました。中でも特に成績の良い生徒のみが受講できる「最高レベル特訓」なるものがあり、そこはさすがに「天才」だらけで、みんな灘中から将来的には東大へと行くようなトップクラスの生徒たちです。

その中でも上位クラスにいた数名が、僕にとって人生で初めて感じた(そして今も感じ続けている)「絶対に越えられない大きな壁」です。

授業開始後まず算数の計算テストがあるのですが、その計算テストには「計算」とは名ばかりで、平均的小学生では何時間かけようが正解できない位の難問がそろっています。それをなんと10分間で15問、いや25問だったか…。信じられないことにほぼ毎回、満点をとる人間がいるわけですよ。

僕は良くて半分とれるかとれないか。断言できますが今の僕では絶対に半分も正解できません。どんな風に頭を回転させれば、あの難問群を1問1分もかからず解いていくことができるのか…。

そこにはもちろん並外れた努力もあるのでしょうが、努力を凌駕する何かが彼らには宿っています。

彼らが本当の天才だ。

僕はそう確信しました。今でも確信しています。

実は僕、その進学塾で算数の先生を4年間やっていたことがあるのですが、はっきり言って6年生のトップレベルの子供たちには「勝てません」。そりゃ問題を解くテクニックは経験値で勝る僕の方が「よく知ってる」のかも知れませんが、一度理解した後のスピード勝負、あるいは理解に至るまでのスピードではもう絶対に勝てません。(なのでそういうトップレベルの子供たちの授業は担当しませんでしたが、講師控え室での質問受けは冷や汗ものでした…。)

「いくら勉強ができたって人間としてどうこう…」とかいう問題ではないのです。そこには妬みや僻みなんてものはありません。あるのはただただ「あきらめ」のみ。敗北感とはちょっと違う。

むしろそういう超一流を肌で感じることができたこと、「肌で感じられるレベルでいたこと」がまぁよい体験であったなとすら思います。よくわかりませんが素人が「イチローすごい!」「小澤征爾さんすごい!」と言えたとしても、そのすごさを「肌で感じる」ことができるのはやはり一流の野球選手か、一流の音楽家のみじゃないですか。たぶん。

猫写真で場を和ませます(^_^)

■成功について

その後しばらくはそういう「越えられない壁」を意識することなく平和に暮らしていたのですが、30歳を越えたころからでしょうか、またそれを意識する機会が多くなってきました。

その多くは(主にネット上で)「成功者たち」を目撃することによって、です。

たとえば大会社の社長とか総理大臣とか、ああいうレベルに対しては別になんとも思わないんですよ。人より優れた資質を持った人が、長年にわたり努力してきたことであの地位があるんだなぁって普通に思うだけです。

でも最近よく見る「成功者たち」って若いじゃないですか。自分と同じくらい。下手したら自分より年下の場合も。あと社長や起業家じゃなくても、若くしてお仕事大成功している人の事例はネット上にたくさん転がっています。(何をもって「成功」と言うのかという定義は難しいですが、とりあえず「ポルシェ911の新型が出るたびに楽勝で買い替えられる」ということにしましょうか(笑)。)

自分もいい歳になって、いったいどこで、こんな差がついたのか?と。僕だけじゃなく多くの「普通の人」たる同世代の人たちは思った事があるのではないでしょうか?

成功した人たちの多くは、少なくとも僕よりかは何倍も努力を重ねて自分を高め、さまざまな経験値を高め、そこに至った人たちなのでしょう。だから必ずしも彼らが「天才」というわけではないのだと思います。それはわかります。

でも僕は、そこに一定割合で含まれているであろう「天才」たちの存在を感じないわけにはいきません。

本当のところはどうかわかりませんよ。でも「もしかしたら『彼ら』があのときの『絶対に越えられない天才たち』なのかも…」と、思ってしまうわけです。特に若くして成功している人たちを見ると。わかりやすい例がスーパープログラマーで、僕が100人いても作り出せないものを、彼らは1人でささっと作り上げてしまいます。(実際見たわけではありませんが…)

もちろん「勉強ができるだけ」で成功できるような世の中じゃないことは承知しています。また何も「勉強ができる」=天才だとは言ってません。上に書いた進学塾での天才児は天才の一例であり、どんな事柄においても、ごく限られた割合で「天才」は存在するのでしょう。先天的な才能か、膨大な努力か、どの両方かは問わず。

■結論的なもの
そして僕には、そんな「天才たち」が世の中の先端を切り開いているように感じられ、自分がそうではないことがただただ残念なのです。

僕はチャレンジしてるわけではないので、「非天才」がそういう「世の中の先端を切り開く」立場になれない!とか言う資格はありません。努力次第でそうなる可能性はあるかも知れないし、努力してる人で成功してる人はいるからです。

でもこれは絶対に言い切れます。

僕は天才にはなれない。

それが冒頭、例の歌を聴いて僕があらためて認識させられる現実です。

「越えらんないデカイ壁は、ぶつかってぶち壊してやれ~♪」

ぶち壊せないですよ。

だから僕は、そんなデカイ壁の存在を常に意識しながらも、自分なりのささやかな幸せを求め、日々豊かに暮らしていきたいと、ただそれだけを思うのです。ではまた。

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