2009年6月29日月曜日

ぼくと飛行機

たまに飛行機に乗ります。

昨年まではANAのブロンズ・クラスでした。日本中・世界中を駆け回るビジネスマンの方々とは比べようもありませんが、自分としてはけっこうたくさん乗ってきたように思います。昨日も乗ったのですが、そこで思ったこと(あるいはいつも思ってること)を3つ。

■その1:シートベルト外すの早すぎ

飛行機が地上に降りて指定の発着場に移動してるまでの間にシートベルト外してる人いますよね。あるいは発着場に到着したらしたで、シートベルト着用サイン消灯を待たずにすぐに外す人も多い。

なぜ?なぜ従えない?
��「駐車し直し」的にまた動くかもしれないじゃない)

そんな人たちは、地上での急ブレーキで勢いよく前方にふっとんでいけばいいと思います。シートベルト着用サインを守ってた人だけ生き残る、的に。

自分でもよくわからないのですが、そういうのがものすごくカンに触ります。能力低い人に限って身勝手な判断しますよね。そして自分が身勝手な判断しているのに気づいていない。これは例えば「オレにはちゃんと見えてるんだ」などと思って指示機を出さずに車線変更するドライバーにも共通です。どうやったって見えてない箇所・瞬間があるからこそリスク低減のために指示機を出すのだということを理解していない低能力な輩たち。

て言うかそんな早くシートベルト外したって意味ないじゃない。ってのは次の項目でも言えることです。

■その2:席を立つの早すぎ

みなさんシートベルト着用サインが消えた瞬間に席を立って通路に並びますよね。あれってどういう心理なんでしょう?だって、

・機外に出られるまでにはまだ結構時間かかるし、
・前に行けるわけではないし、
・せまいからギューギューになってる

じゃないですか。なのになぜ立って並ぶのでしょう?「お降りください」のアナウンスまでゆっくり座席に座っていればいいじゃないですか。

だいたい迷惑なんですよね。通路が人でうまっちゃってるから頭上に入れておいた荷物が取りづらい。まずは通路側の人が荷物をとって出口にむかい、それから窓側の人が荷物をとる、みたいなことでどうして出来ないのでしょうね。

■その3:機内販売でマイレージ登録するのにどうして…

こないだ初めてANAで機内販売を利用したんです。最近はけっこうお手頃な値段(3,000円とか)で魅力的な商品がありますよね。で、問題は購入にともなうマイレージ登録。100円につき1マイルもらえます。

��NAマイレージカードを持ってる人は問題ありません。マイレージ付きクレジットカードとかだとポイント変換率も高くてお得みたいですし、何の問題もありません。カードを渡すだけです。

問題は僕みたいにマイレージカードを携帯していない人です。なんとマイレージ番号が分からなければマイル登録ができないんです!しかも、

・飛行機の座席番号からマイレージ番号を紐づけられないのか
・搭乗時の半券とかにマイレージ番号の記載はないのか
・せめて後からインターネットで登録できないのか

すべてオールアウト。うーん、ANAのサービス上の盲点と言わざるを得ません。

僕は携帯電話アプリとしてマイレージカードを持っているので、物体としてのマイレージカードは携帯していません。そういう人ってイマドキけっこういるのでは?ちなみに「あ、携帯電話を見ればマイレージ番号わかります!」って嬉々としてスチュワーデスさん(で、いいでしょ。ダメ?)に言ったら「すみません、機内では電源をいれないでください」って言われました。当然ですね。

しかし文句を言いつつもそれに対応するのが僕です。昨日また機内販売を利用したのですが、その際にはマイレージ番号を暗記して臨みました。偉いでしょ。口頭で「ヨンサンゼロの~」って10桁全部言えましたよ。自分で自分をほめてあげたい、ってほどのことではありませんが。おかげですっかり覚えました。

・・・

相変わらず小ウルサくてすみません。心が狭いと言うか何と言うか。

ところで昨日は着陸後の機長アナウンスでこんなことがありました。

「私事ではありますが、わたくし本日をもちまして全日空を定年退職いたします。わたくしの最後のフライトにご搭乗ありがとうございました。今後とも全日空をよろしくおねがいします。」

期せずして機内には拍手が。たまにこういう出来事があると心がほっと温かくなりますね。お疲れさまでした。

クルマのスピード違反で何度も捕まってる僕が、そんな風に偉そうに言うことって正しくないですね、明らかに

2009年6月25日木曜日

都響第683回定期、ブラボー早すぎ

今日は都響の定期演奏会でした

��プログラム>
第683回定期演奏会 Bシリーズ(6/24)

会場:サントリーホール

指揮:小泉和裕
ホルン:西條貴人

・ ストラヴィンスキー:交響的幻想曲「花火」 op.4
・ R.シュトラウス:ホルン協奏曲第2番 変ホ長調
・ チャイコフスキー:交響曲第3番「ポーランド」 ニ長調 op.29


今日は正直移動疲れ+おなか痛でしんどかったのですが、なかなか充実した演奏会だったように思います。終わったあとのブラボーがたくさんあった

ストラヴィンスキーの「花火」はわずか5分ほどの小品ですが、大変テクニカルで見所の多い面白い演奏でした。ラッパ達が華やかなメロディーを奏でる部分が、「1Q84」で今話題のヤナーチェク「シンフォニエッタ」と似たような雰囲気だったように感じました。どちらもバレイ音楽の大家として有名な両者だけに共通するテイストみたいなものがあるのかもしれません。

ホルン協奏曲はとても楽しみにしていたプログラム。ソリストの西條さんは都響首席奏者です。ところがここで不覚にもホルンのやさしい響きに誘われて気付けば第3楽章(笑)。うわーもったいないことをしてしまった。終演後ブラボーの声が多数あったので、きっと素晴らしい演奏だったのでしょうが、残念ながら僕にそれを語る資格はなさそうです。うーん。

チャイコフスキーの交響曲第3番は、この作曲家の生み出した作品の中では比較的マイナーな存在らしいです。もちろん初めて聞きます。音楽評論史的にはあまり評価されていない作品らしいのですが…。…大変よかったです!特に第1楽章、美しさと大迫力がいい具合でバランスされた、とってもチャイコフスキーらしい音楽だったように感じました。もちろん都響の素晴らしい演奏技術+僕が大好きな指揮者である小泉さんの明朗快々たる指揮ぶりによるところも大きいのでしょう。最後まで飽きずに楽しめました!ブラヴォー!

ただ本日気になったのは演奏後の観客のリアクション

その1:楽章間の咳こみが、タイミング早い&多すぎ

…そりゃ必死で我慢してたんでしょうけど、せっかくのサントリーホールの豊かな残響を打ち消すようなタイミングでのゴホゴホは結構ダメージ大きいです。がっかりする。あと咳をするにしても、ちょっとは遠慮気味にしてほしい。

その2:ブラボーのタイミング早すぎ!

…今日は特に目立ったのですが、一部の人のブラボーのタイミングが早すぎだったんです!サントリーホールはおよそ2秒もの残響を保つ優秀な音響を備えているのですが、その輩は残響を一切楽しむことなく即座に「ブラボー」って叫びやがりました。ほんと死んでほしかったです。

あの、最後にザン!って響きがホールの隅々まで染み渡る感覚=それこそ芸術の一部です。一瞬でかまいません、一瞬の静寂こそが演奏にさらなる深みを与えます。それを踏みにじる権利は君達にはない~!残響を聞ける耳ぐらい養っとけ!とか上から目線で思ったり。

と、そんな怒りを感じつつも、やはり都響の演奏会は素晴らしかったです。ではまた。

2009年6月21日日曜日

ぼくと短編小説

最近、自分が以前書いていた日記(カモノハシ通信1とか)を読み返すことが多いのですが、我ながらちょっと感心したのが以下の回。短編小説の読み方について(偉そうに)指南しつつ、自作のそれっぽい文章まで書いてあるではないですか(汗)。うんうん、言いたいことは分かるよ、と13年前の自分に頷きます。ちょっと恥ずかしいけど。



(ここから昔の引用です)
「短編小説の読み方もどき」カモノハシ通信1999.12.16

小説とミステリーは全然違います。どこが違うのかというとミステリーはストーリーそのものを主に楽しむものであり、小説はそこにこめられた作者の意図や思いを読むものだからです。つまりだから小説は深読み(ふかよみ)できるのです。まぁもちろんミステリーだって作者の意図がこめられていたり、小説だってストーリーを楽しむわけですから一概には言えないかも知れませんが。

でもとにかく今日は「小説の深読み」について書いてみます。

小説は書き手と読み手にとって時としてまったくの別物になってしまいます。

例えば僕が今とても「ひもじくて悲しくて寂しい」とします。それの気持ちをこめてこんな文章を書いたとします。


夕ぐれの頃、電灯が灯り始めた堤防横の道を僕は歩いていた。風はあくまで冷たく、鋭い。ふと空を見上げると気の早い一番星が小さく白く輝いているではないか。その星を見て僕はふと、敬子が死ぬ前に残した1つの言葉を思い出した。……(つづく)。


僕としては精一杯の「ひもじさ・悲しさ・寂しさ」を込めたつもりのこの文章でも、読み手は作者が個人的にひもじくて悲しくて寂しいなんてことは直接はわかりません。ひょっとしたら読み手によってはまったく別な感じ方をするかも知れません。

あと例えば、これは短編小説に多いのですが、小説全体がひとつのメタファー(たとえ、暗喩)になっているパターンもあります。例えば僕が「今の若い人に対してどうしようもなくあきらめている」ということを小説で「たとえて」書いてみたとします。


そのウェイトレスはいかにも不機嫌そうに僕の前にコーラの入ったグラスを置いていった。まぁいい、ちゃんと頼んだコーラがきたことだけでも良かったのかも知れない。僕はグラスの中の黒い液体を見てそう思った。飲もうとしてグラスを持ち上げると、その湿り気のせいでコースターまでが一緒にグラスについて持ち上がり、そしてそれは次の瞬間はがれ落ちた。はがれ落ちたコースターが転がっていった先のテーブルには同じクラスの貝本浩治が数人の女の子を連れて座っていた……(つづく)。


例えばこういう文章だけ読んでも、これが「今の若い人に対するあきらめ」について書いてあると言うことは直接はわかりません。だけど、じっくりと深読みするとなんとなくですが「この人は自分の殻の中に閉じこもりがちな人なんじゃないだろうか?」とか「この人は同世代の若い人が嫌いなんだな」とか想像することが出来ます。それは「黒い液体」とか「不機嫌」とかといった言葉からも感じることが出来ます。

これを村上春樹のように上手な作家がやると本当におもしろいことになります。

例えば「図書館奇譚」という短編小説があります。…
��ここまで引用です)




このあと村上春樹さんの「図書館奇譚」を題材に、作者が言おうとしているのではないかと思われる隠された意図について、僕なりに推察していくくだりがあります。そこもけっこう面白いのですが、あまりに偉そう(そのわりに稚拙)なのでカット。

でも小説の読み方ということについての基本的な僕の考え方を、素直に表した文章だとあらためて納得です、我ながら。

ミステリーやストーリー重視の小説と違って、ある種の小説には作者の意図・気持ちが巧妙に隠されています。そこを感じ取ることができれば、作品への理解は深まり、より深く好きになることができるものです。

それって絵画鑑賞や音楽鑑賞でも同じです、僕の場合。絵画だと描かれた絵そのものだけでなく、そこから感じられる作者の心持ちに自分なりに思いをはせることが肝要なのではないでしょうか。

もちろんzipを解凍するみたいに、もともとあったありのままの意図・感情を正確に再現することは、読者・観客である我々には不可能なことです。それでもなお僕らがそれをしようとするのは「もしかしたら似たような経験が僕にもあるかも」って思えることに無意識に期待しているってことなのかも知れません。感情体験の無意識下での共有。うまく言葉で表現できていませんが、そういうのがない人生なんて、まるでクリープを入れないコーヒーみたいなものだと思うのですが、いかがでしょうか?

ま、僕はコーヒーにクリープは入れませんが、めったに。

2009年6月19日金曜日

ぼくと臓器移植法

臓器移植法改正A案が衆議院で可決されました。

僕はA案に賛成です。

ポイント1、臓器提供意志表示

現行はあのバカみたいなドナーカードを使って本人が提供意志を表示していることが必須となっていますが、その作戦はどう見ても大失敗でした。(例えばあなたはネットで臓器移植意志表示できることとか知ってますか?知らないでしょ。そのくらい浸透率が低い。)

→ドナーカードについて書いた記事はこちら「馬鹿ドナーカード」

だったら家族の意志でGOサインを出せるようにするというのは自然な流れじゃないですか。すべては無責任な日本の国民性が招いた結果です。

それに後述するような「脳死状態」において、「だってまだ体が温かいんだし、万に1つでも蘇生の可能性があるならそれにかけたい!」って家族が思うのだったら普通に「NO」って言えるわけです。全く問題ない。


ポイント2、脳死は人の死か?

おそらく今回の法改正においてもっとも大きな山がこれでしょう。脳死は人の死か?そんなの誰にも決められないでしょ!?誰が決めたって、どう決めたって、異論反論を抑えることはできません。単にキメの問題です。

そこで政治の出番です。

��案では単純に「脳死=人の死」と言い切っちゃってます。

僕は本心では脳死を人の死とするのには反対なんです。だって体も温かいし、人によっては爪も伸びる。また万に一つの蘇生の可能性だってあるわけです(実際にそういう希有な例は存在する)。その家族を目の前に「でも死んでるやん」とは言えません。

でも「脳死=人の死」とする政治的なその取り決め一つで救える多くの命があることは確かなんです。前述したようにA案の場合は家族がNOと言えるようになるわけですから、つまり選択の自由は確保されてるのですから、ここは涙をのんで感情論を抑えることが比較的正しい選択なのではないでしょうか。


ポイント3、適用年齢

��案では0歳からとしていますが、これは僕には全く判断できません。でも判断できないからこそ0歳というのは正解の1つだと思います。仮に12歳として、その12歳という判断の根拠を示されても納得できない部分は必ず残るからです。

子供の脳死は、万に一つの蘇生の確立が、大人よりかは高いというデータもあるようなので、そのご家族からしたら適用年齢を下げられるのはショックでしょう。

でも繰り返しになりますが、家族はNOと言えるんです。

逆に「私の子供の命を引き継いでほしい」という人がいたとして、その人たちの希望に応えられない現行法の方がおかしいと僕は思うわけです。


そんなわけで僕はA案に賛成です。異論反論があるのは承知しつつ。

あとは政治がリーダーシップをとってきっちりまとめてほしいと思います。(にもかかわらず我が国の首相はD案を選んだ上で「まだ民意が固まってないから」とか訳のわからん言い訳をしてる始末です。この人には自分がリーダーだという自覚はないのでしょう。

ぼくと村上春樹

今も昔も変わらず村上春樹さんの本を愛読し続けている僕です。

以前の僕が村上春樹さんの小説に心惹かれていた理由は結構明快に説明できます。

村上春樹さんの小説の中では主人公はいつも孤独です。しかしそれにも関わらず人生を楽しんでいるように見えます。村上さん本人も、とあるインタビューでこう答えていました。(たぶん1999年頃の広告批評上でのインタビュー)

(ずっと以前から読者の層が変わらず20代~30代前半ということに関して)
��普通読者というのは、作家とともに年をとっていくことが多いんだけど、
��僕の場合そうならないのは、僕の書いていることが、その年代の人たち
��にとって切実なことだからじゃないかな。正確にはわからないけれど、
��それはつまり、人が孤独に、しかも十全に生きていくのはどうすれば可
��能か、ということだろうと思う。

例えば『ダンス・ダンス・ダンス』に出てくる「僕」の様に、『世界の終わりと、ハードボイルド・ワンダーランド』に出てくる「私」の様に、あるいは『ファミリー・アフェア』(短編)に出てくる「僕」の様に、「人が孤独に、しかも十全に生きていく」ということに憧れていました。それが理由の1つです。

それからもう1つ。

彼らは皆「人に頼るくらいなら、自らをより強くすることを選ぶ」というポリシーを持っています。彼らは自らを「その他の人々」より1段高い視点に置いているようです。だからといって偉そうではなく、また卑屈でもなく、世の中を公正に冷静に、いくぶん冷ややかな目線で眺めています。

ネオくるまり

自らを強固な殻で守り、変わらないことを選ぶことに(変わらないために変わっていくことに)使命感を持っているように感じます。それが理由の2つめです。

自らを強く保ち、公正に生きていく姿は僕から見てひどくまともであり、なにより僕はその「まともさ」に強く心惹かれ続てきたわけです。

・・・・・・

それが少し変わってきたのが『スプートニクの恋人』からです。主人公はいつも通り孤独で、いなくなってしまった唯一無二の友人/恋人を探しに遠くギリシャまでやってきますが見つからず途方に暮れます。そして不思議な体験をした後、「人はなぜこうも孤独にならなければならないのか」、荒涼とした月を見上げ主人公の「ぼく」はそうつぶやきます。

と、ここまでは大体いつもの村上ワールドなんですが、ここで小さな革命が起こります。

日本に戻ってきた主人公は、スーパーで万引きした教え子(主人公は小学校の先生)の少年「にんじん」を引き取ります。「どうして万引きなんかしたんだ」と聞いても一切何も話さない「にんじん」に向かって、主人公はとうとうと今の自分の境遇について話します。そして最後にちょっとした秘密を「にんじん」と共有して別れます。

最初に読んだときはその「にんじん」のくだりが持つ意味をよく理解できなかったのですが、今では理解できます。そのシーンは村上作品に登場した初めての…なんでしょう…、なんか特別な関係性です。(それまでの長編で出てきていた主人公と脇役・ヒロインとの関係性とは違うなにか、です。)

つまり「人に頼らず、自らを強く」と強固な殻を築いてきた主人公が初めて、こだわりをゆるめて「人に頼った」シーンです。

ひたすら自らを強くし、自分の中を深く深く掘り進むことで問題を解決してきたスタイルが転換され、他者との繋がり・意識の共有に価値が置かれた瞬間です。

そこから発展して『海辺のカフカ』では主人公の少年と(出会うことはないんだけれど)孤独な老人(ナカタさん)が繋がり、象徴的に助け合う方向へと進んで行ったのだと僕は思います。

そして『1Q84』ではもちろん、青豆と天吾の関係となって現れてきます。

ネオふりかえり

そんなわけで僕は『スプートニクの恋人』がとりわけ好きなんですが、何が言いたかったのかと言うと

・村上さんの小説の変化が、僕自身の変化とシンクロしている(ように感じる)

ってことです。

僕も以前は「人に頼らず、自らを強く」と考え、おそらくは人より堅めの殻の中に(象徴的に)引きこもっていました。他者と距離を置き、むしろ他者を見下すことで自らの心の安定を得ていたフシさえあります。それが最近は変わってきた、そういうことです。

相変わらずダラダラ長文になってしまってますが、一言で要約すると「デタッチメントからコミットメントへ」ってことになります。随分言い古された表現ではありますが。

人との繋がりから生まれてくる「簡単には言い表せないけど温かい何か」を示してくれている村上春樹さんの最近の小説も好きです。昔のも好きだし、今のも好き。ってことで、僕は今後も村上作品をエンドレスで読み返し続けていくことでしょう。

最後にオススメリストです。この順番で読むと僕の言いたいことや僕の気持ち、さらには僕の精神構造までもしかしたら理解してもらえるかも知れません。

『羊をめぐる冒険』
  ↓
『ダンス・ダンス・ダンス』
  ↓
『世界の終わりと、ハード・ボイルド・ワンダーランド』
  ↓
『ねじまき鳥クロニクル』
  ↓
『スプートニクの恋人』
  ↓
『海辺のカフカ』または『1Q84』

うーん、ありきたりな並びだなぁ(笑)。特に絶対に外せないのは『ダンス・ダンス・ダンス』と『スプートニクの恋人』の2作でしょうか?ていうか他のも含めて全部読もう!

2009年6月17日水曜日

ぼくと新型

新型と聞けば何にでも飛びついてしまいがちなぼくですが、ここでの新型とはもちろん?先日発表された新型iPhoneのことです。

旧型ユーザーとしては新型の進化度合いが気になっていましたが、ビックリした点は…

・softbankの「iPhone for everybody」キャンペーンが適用可

ってことです。

「iPhone for everybody」ってのは本体価格が実質0円で月々の通信料も割安(ただし2年間しばり)という大サービスキャンペーンなわけですよ。それが今年の4月から始まったもんですから、僕としても誰としても

・近々新型が出るから、旧型をサービス価格で売りさばく作戦

って思うじゃないですか、普通。思いません?まさか新型にまで適用されるとは思いもよりませんでした。(ただし本体0円にはならず、16GBモデルで月々480円。)だったら新型まで待ったのに~と若干思わなくもありません。

ただし、肝心の機能部分ではあまり進化が見られませんでした。主なポイントは

・処理速度が大幅アップ
・カメラ機能が大幅アップ(動画も撮れる)

ってことです。新型でないと絶対ヤだ!ってほどではありません。

あ、あと容量32GBが登場したのはちょっと羨ましいかな。だったらiPod Touchがいらなくなりますもんね。でもまぁ32GBのiPod Touchを既に持っている僕には不要なわけで。

あともし本体重量が半分くらいにスリム化されてたら悔しいなと思っていたのですが、今回は重量は変わらず。あーよかった。

またiPhoneはベースソフト(OSみたいの)のアップデートが可能です。6月18日にはベースソフトのバージョンが3.0に上がり、ほとんどの機能が新型iPhoneと同等になります。買い換えなくても本体の基本機能がアップデートできるというのは本当に大きいです。

と、言うわけで結論的にはあんまり悔しくありません。一安心です。よかった、よかった。同じように思っているiPhoneユーザーは多いのでは?

・・・・・・・

おまけでネオの写真を4コマ漫画風に仕立ててみました。
��写真の右の方をクリックすると次に進みます。いつもだけど。)

『ネオと新型』
ねおと新型1

ねおと新型2

ねおと新型3

ねおと新型4


2009年6月13日土曜日

ちょっとしたウイスキー・ブームです。僕の中で。世の中的にもそうみたいですが。

もともと僕はお酒に強いわけではなく、お酒に詳しいわけでもなく、さらに現在は服薬の関係上あんまり飲んではいけない、そんな立ち位置であります。

ねおウイスキー

しかし知的好奇心というものがあります。

いい年にもなって、例えば「スコッチ・ウイスキー」ってどんな味でどういう銘柄があるのか、とか、「ブランデー」ってそもそも何?とか、「シングル・モルト」っておいしいの?とか、そういうことを知らないのも何か味気ないなと。思うわけです、はい。

で、たまたまたブランデーを飲む機会があったのですが、これがまたおいしい。サントリーのV.S.O.P.って書いてあるやつでした。ブランデーってウイスキーの一種みたいに思っていたのですが正確にはちょっと違っていて、ウイスキーが麦を発酵・蒸留するのに対し、ブランデーは果物(主にぶどう)を発酵・蒸留するんだそうです。同じ蒸留酒なので味は似てますが。

とりあえず安いウイスキーから飲んでみようと思い、まずは「トリス・ウイスキー」の小さめ瓶を購入。ロック、水割りで飲みましたが、サントリーのブランデーに比べると味わえる味がなく、ただアルコールの刺激とウイスキーっぽい香りがあるだけのように感じました。

以前、独身寮時代にサントリー・ウイスキー「繕」を少しだけ愛飲していたことがあるのですが、繕の方が全然美味しいです。

そしたら今度はちょうど村上春樹の1Q84に「カティ・サーク」が出てきたものだから、それを試してみることに。「カティ・サーク」は安いスコッチ・ウイスキーの代名詞みたいなもんらしい。スコッチ・ウイスキーにおける「角瓶」みたいなもの?ラベルに帆船(それこそがカティ・サーク)の絵が描いてあって、なんか外国っぽくてカッコいい。

スコッチ・ウイスキーと言っても結局ウイスキーなので、どこがどう「スコッチ」なのかはイマイチ分からない僕です。もしかしたら「こういう香りがまさにスコッチ」ってのがあるのかも知れませんが…。

それどころか次に買ってきたサントリー「角瓶」とストレートで飲み比べてみても、ほとんど違いがわからない始末。うーん、ウイスキーに慣れていないとは言え違いが分からないとは我ながら情けない。「違いの分かる男」ではなかったということか…。

ところがそれぞれをお水で1:1ぐらいに割って飲むと、それぞれのキャラクターが明確に判別できるようになりました。「カティ・サーク」は空気の下の方の層で怪しく動き回る黒い煙のような感じ。音符で言うとちょうど「ド」。低い方の。で、ド→ミ♭→ソの和音(Cm)を3連符で延々と繰り返すようなイメージ。いずれにしてもマイナーです。

対して「角瓶」は明るくキレイなイメージ。音符で言うと「ソ」。「ソ」を単音でタタタタタ~ンと元気に打ち鳴らすような感じでしょうか。ト長調をバイオリンで弾くのもいいな。

「角瓶」と言えば、炭酸水で割って「ハイボール」にしよう!ってのが結構盛り上がってますが(近所のマイカルの酒屋では炭酸水とセットで大々的に売り出してる)、僕もやってみました。結論的にハマってます。「ハイボール」おいしい。

ここでもやはり「角瓶」で作るハイボールと、「カティサーク」で作るハイボールでは全然味が違います。炭酸のシュワーっとした感じにマッチするのは、なんと言っても「角瓶」です。て言うか角瓶のハイボールはすごくおいしいです!氷をたくさん入れて、ウイスキーと炭酸水を1:1で割って飲みます。飲みやすいから気をつけないとすぐにメロメロに酔っぱらってしまいますよ。(お店とかだと1:4~1:3ぐらいで作られるから、やっぱり家で飲むに限りますね。)

ハイボールの良いところは、あくまでウイスキーの味を味わうための一手段であるということですね。あまたのカクテルみたく「別のもの」を作り出そうとしているのではなく、純粋にウイスキーの良さを引き出しています。と、僕は感じます。

そんなわけでハイボールが美味しい「角瓶」は素晴らしい。売れ続ける理由が分かりました。

さらにはシングル・モルトの入門編として(と自分で勝手に思ってるだけなんですが)、ニッカの「余市」というのを買ってみました。

まずはストレートで飲み比べ。「カティ・サーク」は無くなったので、「角瓶」との比較ですが、やっぱりイマイチ判別がつきません。若干「余市」の方が落ち着いた風味です。

そこでまたお水で割ってみることにしました。お水で割ると味って判別しやすくなりますね、何でも。何故でしょう?で、やはり「余市」はしっとり落ち着いた大人の味です。

「カティ・サーク」や「角瓶」はいろんな樽・蒸留所で精製された様々な味のウイスキーをブレンドして作られた、ブレンデッド・ウイスキーです。対して「余市」は北海道の余市で作られた1品種のウイスキーだけ使うので「シングル・モルト」となります。基本的にシングル・モルトの方が若干お値段高めです。この数年はシングル・モルトがブームらしいのですが、それは単に安いウイスキーが庶民に人気が無くなっていたため、富裕層が好んで飲むシングル・モルトが比較的たくさん売れていたと言うことではないでしょか?

「余市」はシングル・モルトの中では比較的安い部類のウイスキーです。正直、僕の感覚では「やっぱりこれでないと」とまで思わせてくれるほどではありませんでした。「これなら角瓶の方がいいや」ってのが正直なところか。純粋に味の好みによるでしょうが。

「余市」の味は音符で言うと「シ」ですね、低い方の。和音で言うとBm。ズーン、ズーンと静かに響きます。

ウイスキー、ブランデーについてあまり深く追求するつもりはありませんが、一応これで自分の中の「評価軸」みたいなものが(とりあえず)できあがったように感じます。それができあがった上で良いウイスキーとの出会いがあると、きっと幸せです。「山崎12年」とかね。いっかい飲んで見たい。

余市が無くなったら今度は日本酒に戻ろうかな。近所の酒屋に比較的製造日のあたらしい「天狗舞」があったんですよね、山廃仕込みの。小さいヤツならそれほど高くないからこれは飲んでみないと、と思っている今日この頃です。

※繰り返しご注意※

僕はお酒に強いわけでも、ましてや毎晩ガブガブ飲んだりしてるわけではありません。現在病気治療中につき服薬をしている関係で、それに影響のない時間・量を選んで、あくまでたしなむ程度に飲んでいます。

ですので、僕は酒飲みではありません(笑)!そこだけはよろしくお願いします(笑)。

2009年6月12日金曜日

ブログのこと、自分の像

ここ数日間、このブログへのアクセス数が急伸しています。理由はもちろん辻井伸行くんです。漢字を間違えての「辻井伸之」でヒットしてくる方も多数おられるので、たまには漢字を間違えて書いておくものだなぁなどと思ってしまいます。アクセス数増えたからって何にも良いことないんですけどね。

ちなみに普段のアクセス数は1日100いくかいかないかです。いかない日の方が多い。ええ、所詮そんなものです、個人の日記ですから。それが今回は軽く300を超えています。検索してお越し頂いた方の中に趣味の合う人がおられれば嬉しいです。

意外と多くて個人的にびっくりしてるのが、僕の知人・先輩・後輩の皆様からのアクセス。これはアクセス・ログを見てもわかりません。直接その人から「ブログたまに読んでますよ」とか言われるわけです。意外な人からも言われたり「そういうえば○○さんも読んでるらしいですよ」とか言われたりすると、結構びっくりします。へぇ~そういうのは何か嬉しい。緊張するけど。

僕がネット上に自分のホームページを持ち始めたのが1997年12月。水泳部OB会の開催がきっかけでした。ほどなく名前を「The Key Man !!」てのに変えたのですが、それは当時僕がコーチしていた水泳部で作ったTシャツのデザインが元になっています。あれ、誰が考えたんだっけ?

そのホームページ上で、水泳部日記やら「水泳部野球チーム報」やらといった内輪話全開コンテンツとともにコツコツ書いていたのが「カモノハシ通信」です。あまりにオープンに心の内をさらけだした危険度満点の日記風コラムでした。ちなみにその前身として「独り言」「一人語り日記」というのがあります。

2000年頃に就職を機に一度ホームページは休止。2002年頃に「The Key Man!! 2002」として再開するもほとんど続かずすぐに休止。ちなみにその頃の日記は「カモノハシ便り」という名前でした。

意味も無く整理すると

・独り言 1997年12月~1998年7月 全102回
・一人語り日記 1998年10月~1999年3月 全92回
・カモノハシ通信 1999年4月~2000年3月 全200回
・カモノハシ便り 2002年4月~2002年5月 全16回

そして2004年から始めたのがこのブログ「カモノハシ通信2」。

・カモノハシ通信2 2004年4月~現在に至る 現在全750回

けっこう長く続いているんですよね。

何がいったいモチベーションなのかというと、ホント自分でもわかりません。特に誰かにむけて「僕をわかって!」とも思いませんし、正直アクセス数がもっと少なくても、多くても、特に意欲はかわらないように思います。

しいて言うなら「書き留めたい」「記憶に残したい」という欲求があるのかもしれません。書き留めることで記録に残ると同時に、記憶にも残ります。過去の嬉しかったこと、反省したこと、情けなかったこと、いろいろなことを糧として今の自分に役立てていければよいかなぁ、などと…。

それって自分にそっくりの「像」を足下から作り上げるようなものです。客観的に眺められる、自分そっくりの「像」。うわー、あんまり見たくないなぁ。顔つきとか微妙に違うし(笑)。

そんな、自分ではあまり見たくない「像」の一部を意味も無くさらしてしまします。(相変わらず無駄に長文すみません…)

僕が1998年3月(就職活動中ですね)に書いた「独り言」です。偽善者モード爆発・自意識過剰・独善的な文章を、お暇な方はどうぞごらんください。読んでも何のためにもならないのはいつも通りです。


●さすらおう
第37回<1998年3月14日(土)>午後9時15分

全国37万人の読者の皆様こんにちは、ココロがばて気味のクロタキです。最近忙しいです。なんかやることが山積みで…。すっきりしない毎日です。なんかやる気が起きません。クラブ以外。

クラブが始まってからというもの頭の中はチームのことでいっぱいです。就職活動や浜学園のことまで頭まわってません。やばいです。就職活動。今日は高雄さんと話をしたんですけど、僕らのやってること(コーチ)って他の人から見ると確かにバカみたいですよね。お金をもらうわけでもなく(それどころかかなりの出費)、自分の時間の多くを他の人のために費やす。毎日毎日しんどい思いをしたり、つらい思いをしたり、切ない思いをしたり、誰かに腹を立てたり、自分に腹を立てたり…ほんとーにバカみたいです。

こんなこと選手達には言えませんが、せっかくの独り言なんで言いたいこと言います。

こないだの水曜日なんか、急遽温水プールがとれたので思い切って浜を休みました。当日になって浜に連絡を入れた「急ピンチ」扱いだったので罰金6,000円取られます。僕が授業をした場合、テスト1時間2,500円+講義1時間5,500円で8,000円の収入。これが入らず、逆に罰金をとられるのでその差なんと14,000円!この金額を捨ててまで温水プールに立っている気持ち分かります?僕にはよく分かりません。ただのバカです。

火曜日だって今日だって学内企業説明会(松下、京セラ、富士ゼロックス、他)を無視して、クラブのための仕事をしています。バカです。今、何が大事なのか分かってません。ほんとーにバカです。

でもそれ以上にクラブが好きなんですね。ほんとにバカですが。部員達とも100%仲良くなれたわけでもないのに、それでも好きなんです。なんで?

就職活動もたしかに今頑張らなければいけない大事な人生における試練です。でも今しかできない、今の僕にしかできない役割ってやっぱりクラブです。はっきり言って就職活動で僕が後悔する事は無いでしょう。どこに行っても僕は頑張るし、僕にしかできない仕事を見つけてそれなりの働きをするでしょう。

でも今クラブをないがしろにすると僕は必ず後悔します。それは雪の日に鴉の数を数えるよりもはっきりしています。

今僕は自分の人生を生きているんだなぁと本当に感じます。

就職活動に入っていままで茶髪だった輩も急にかしこまってます。みんな周りの人の状況が気になっておろおろしてます。彼らには僕のことは理解できないでしょう。ただ大多数の人の流れにのってるだけです。

もちろんしっかりとした考えを持って、自分の価値観を大切にしながら就職活動を頑張っている人もたくさんいます。でも、そうじゃないヘボイ人たちを見てると…。

これ以上言うと「俺は何様だのコーナー」になってしまうので言いません。

奥田民夫の「さすらい」という歌の歌詞に
周りは~さすら~わ~ぬ~、ひ~とば~っか~。
す~こ~し~きぃにな~あ~ったあ~。
ってありますが、そんな気分です。

まわりはともかく僕は僕です。僕の価値観にしたがって当分は生きます。
俺はさすらうぜ~!
さ~すら お~~う!


うわっちゃ~。

2009年6月9日火曜日

辻井伸行くん快挙!

僕が勝手にひいきにしている天才ピアニスト辻井伸行君がやりましたね!アメリカのバン・クライバーン国際ピアノコンクールで優勝です!Yahoo!ニュースにも堂々と掲載!NHKのニュースでも放送されました。きっと今晩の報道ステーションでも放送してくれるはず。(テレビ朝日はニュースステーション時代から辻井君をずっと追いかけてます。)

先日、西宮の芸術文化センター小ホールで、目の前で演奏を聴いたばっかりです。そのときのことはこの辺↓に書いてますので、よければどうぞ。

→辻井君について書かせてもらったエントリー一覧

なんか超うれしいです。早くまた演奏を聴かせてもらいたい。

とりあえず10月、11月に東京で行われるソロ・リサイタルのチケットは既にゲットしています。(ゲットしてもらってます(汗)。)あと、もしかしたら7月のイマジンのコンサートにも出るのかな?だったら行かなくちゃ!

以下、僕がおすすめする辻井君のCD、DVD、書籍です。て言うか全部なんですが(笑)。是非是非どうぞ。とりあえずは最初の(debut)がオススメです。

debutdebut
アーティスト:辻井伸行
販売元:エイベックス・マーケティング
発売日:2007-10-24
クチコミを見る


のぶカンタービレ! 全盲で生まれた息子・伸行がプロのピアニストになるまでのぶカンタービレ! 全盲で生まれた息子・伸行がプロのピアニストになるまで
著者:辻井 いつ子
販売元:アスコム
発売日:2008-11-26
クチコミを見る


ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番(DVD付)ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番(DVD付)
アーティスト:辻井伸行×佐渡裕
販売元:エイベックス・クラシックス
発売日:2008-10-22
クチコミを見る


川のささやき~辻井伸行サントリーホールLIVE!川のささやき~辻井伸行サントリーホールLIVE!
出演:辻井伸行
販売元:エイベックス・エンタテインメント
発売日:2008-06-25
クチコミを見る


2009年6月6日土曜日

海外ドラマ3つ

相変わらずLOSTにハマり続けています。シーズン5ではこれまで謎だった部分がいくつか解明されてきました。ただ、いささか強引な…というのは非現実的な部分が多くなってきたので人によっては「こんなの面白くない。見る価値無い」と言われてしまいそうです。

Lost_season_5

もともと墜落した飛行機の乗客が謎の島でサバイバルするという内容だったのですが、それが今やタイムトラベルの話になっています。そして水爆?

こういう流れはある意味「村上春樹的」です。こっちの世界とあっちの世界を行き来するような、と言えば分かる人には分かる。そう言えば村上春樹さんもLOSTを見てるってどっかに書いていたような。

シーズン5はドタバタの内に終了。シーズン6が始まるまでの間がつらいですね。来年?

・・・・・・

海外ドラマと言うか韓国ドラマも最近よく見ています。1つは「チャン・ヒビン」。関西のサンテレビで平日昼の1時からやってます。BS朝日でもやってます。実家の人がハマっているので、僕もついでに見ている感じ。HDDレコーダにはすでに45話分たまっています。

チャンヒビン

「チャン・ヒビン」は日本でいうところの「大奥」みたいな話。正室と側室がいて、争ったり、嫉妬したり、追い出したり、追い出されたり、とそんな話です。これが結構おもしろいんですよね。途中デスノートみたいなくだりがあったり(陰謀が明らかになる重要書類を側室が処分できたと思ったら、それは正室側が作ったコピーだった!とか)、要は策略対策略の話です。それにしても主人公のチャン・ヒビンさんは腹立つくらい悪ですよ。

この話、全部で100話あるんですよ。気が遠くなります。ちなみに現在55話ぐらい。

それからもう1つ「チュ・モン」という韓国ドラマにも実家が大いにハマっています。ネットで第1話と第2話を無料で見ちゃったものだから、その後引き続いて見るハメになったんです。TSUTAYA DiscasとDMM.comの宅配レンタル1ヶ月間無料キャンペーンを利用して計16枚32話分のDVDをゲットしました。(これって家族の別の人名義で、また新規入会→無料キャンペーン利用ってできないかな?)

チュモン

「チュ・モン」は紀元前!?の朝鮮半島および漢の戦国時代?が舞台です。主人公のチュ・モン君は扶余国の王子なんですが、出生にちょっとした秘密があります。最初はダメダメ君だったチュ・モン君ですが、いろんな経験を経てどんどん強くなって、最終的には伝説の英雄になるらしいです。

戦いシーンもたくさんあるし、スケールも大きいし、こっちの方が僕は好きです。ただこれも全80話くらいあるんですよね。長い。

どちらの韓国ドラマも時代劇ですが、服装とか髪型とかがすごいです。それだけでも一見の価値はありますね。

・・・・・・・

ちなみにLOSTは今のところ全部でえーと、24,24,16,9,16だから、えーと、89話分ぐらいが消化されました。たぶんシーズン6で終了なので、あと16話ぐらい。全部で105話ぐらいになるのかな?全108話っぽい気もしますが。(ドラマの前半で重要な数列である「4,8,15,16,23,42」を全部足すと108ですし。煩悩の数とはあんまり関係なさそう。)

以上3つの海外ドラマを全部見たら、トータル300時間近くをモニターの前で消費していることになります。結構うわーな感じですね。

ちなみに実家も僕もなぜか日本のドラマにはさほど興味がありません。何故でしょうね?

海外ドラマを見ることで得たことって特にありません(笑)。強いて言えば語学か?基本、人生を無駄に消費している感じです。でもそれはそれで悪くない。無駄な時間をいかに楽しむかで人生の豊かさって結構変わってくるような気がします。…無駄な時間を作らないにこしたことは無いのかも知れませんが。もしくはもっと有意義に使えよな、とか。

そう言えば最近アニメを見てないなぁ。先日発売された「ぼく、オタリーマン4」に出てたのをちょっと見てみようかな。「ぼく、オタリーマン」やっぱりおもしろいですよ。個人的には泣けます(笑)。

2009年6月4日木曜日

マイ趣味ライフ

さて33歳になったわけですが、僕の現状について説明してみます。

僕はご存じの通りシャケ取り名人です。雪どけで増水した石狩川にバチバチ昇ってくるシャケたちを、ヒグマたちに混じってバシバシとつかまえるのが日課です。多い日で1日20匹ほどのシャケをつかまえます。つかまえたシャケは新巻鮭にして卸します。

と、言うのはもちろん嘘です。

基本的には北の方の海を泳いでいます。たまにグリーンランドあたりで砂浜を散歩しているオットセイをガブリと捕獲する以外は、陸にあがる用事はありません。お気に入りはやっぱりカナダのプリンス・エドワード島あたりでしょうか。汚染されていない河川から注がれてくる森の恵みをたっぷり含んだ水は、とても気持ちが良いです。

と言うのも、もちろん嘘です。ちなみに上記はシャチです。

それにしてもついこないだ30歳になったと思ったら、もう33歳ですか…。ゆずの「もうすぐ30歳」という歌を聞いていたのがついこないだの様です。ちなみにゆずとは同学年。

30歳、31歳ぐらいならまだ「若者」と呼ぶことに、あまり留保や条件は必要なさそうですが、33歳ともなると随分印象が変わってきます。まぁでも33歳ならまだ「若者」です。これが35歳ともなると、抜き差しならない状況になってきますね。そして40歳はもう「若者」ではありません。

人生を何年生きるかによっても違ってきますが、人生80年として子供・若者・中年・老人と4分割したとしたら、若者は21歳から40歳までとなります。というのは慰めにならないか。

そんなわけでまだしばらくは、気の毒なシャチやオットセイをつかまえながら生きていこうと思います。

・・・・・・

主観的データとしての趣味一覧。順不同で。自意識過剰で。

1. インターネット(笑) … 見るだけじゃなかとよ
2. デジタルカメラ … 含む、写真編集
3. デジタルビデオカメラ … 含む、動画編集
4. ドライブ
5. スポーツドライブ … ドライブとは結構違うと思う
6. ミニカー収集 … コペン専門
7. 水泳
8. 読書
9. 映画鑑賞 … 含む、海外ドラマ
10. 音楽鑑賞
11. クラシック音楽鑑賞 … 音楽鑑賞とは結構違うと思う
12. ピアノ
13. アコースティック・ギター
14. ハーモニカ
15. バイオリン
16. DTM … パソコンで音楽作成って意味
17. 海水魚飼育
18. TOTO BIG(笑)
19. シャケ取り(嘘)
20. オットセイ狩り(嘘)

あとイラスト描きってのも入れたいのですが、さすがにこの何年も作品を作ってないからなぁ。とか言いつつ、他のについてもほとんど趣味と言うにはおこがましいものばかり。

まさにミスター中途半端

村上龍さんの新刊本で「無趣味のススメ」ってのがあって、そこには「趣味とは老人のためのもの」「趣味などでは何も得られない」と散々(前書きに)書かれています。そうか、僕は老人だったのか。

ただこれだけは自己弁護させてください。

ほんの少しでも何かを体験することで、その何かについての「評価軸」が自分の体内に立ち上がります。それは例え低い精度だとしても、借り物ではない、自分の、評価軸です。僕はそこに大きな価値を見いだします。適当に本で学んだ知識とはワケがちがう、と思う。

例えば僕はバイオリンなんてほとんど弾けませんが、少なくとも簡単な曲を練習して自分で弾いたことがある経験上、全く弾いたことが無い人よりかはプロ奏者のすごさが肌身にしみて分かります。(ちなみにバイオリンは1年ほどしか習ってません(笑)。)

そしてさらに言うと、他の「バイオリンやってる人」の気持ちが少しは分かります。少なくとも想像する足がかりがあります。気持ちの「通路」のようなものが開かれています。それはバイオリンを手に持つことで開かれた「通路」です。「通路」は他者との繋がりをもたらすと同時に、自らのより深い部分に繋がる秘密の回廊ともなります。

��…もちろん「バイオリンを子供の頃から死ぬほど練習してきたこと」で開かれる「通路」ってもの必ずあって、僕の場合それは開いていない。)

気持ちの「通路」が自分の中に広範囲にわたって、奥深くまで張り巡らされることが何を意味するのかというと、それは「血肉をともなった想像力が得られる」ということです。肉体的な部分と精神的な部分が合わさってこそ真の喜びが得られるとしたら、「血肉をともなった想像力」こそが真にそれを与えてくれるカギのような気がします。

趣味だけが「通路」を開く手段ではありませんが、お手軽にたくさんの「通路」を開くには良い手段です。それで少しなりとも人生が豊かになるのならバンバンザイです。

・・・・・・

それにしても「お金もうけ」が趣味になってりゃ良かったのに。…中途半端になりそうだけど。

2009年6月3日水曜日

ふんわりゴロゴロ

頭が良い、悪いってのにはいろいろな定義があると思いますが「物事を抽象的にとらえることができる」ってのは1つの頭の良さではないでしょうか。

ここに材料が必要なだけ揃っているとします。そこから何かを作り上げていくことは結構簡単です。作り上げられたものを改良することにも取り組みやすいはず。しかしそこにあるイマジネーションは限定的です。脳内ボトムアップ。

目の前に何もないとします。あるいは何もかもがあるとします。同じ事です。そこから何かを作り上げていくためには通常何らかの抽象的な概念が必要となります。概念でも方針でもポリシーでもイメージでも何でも構いません。そこにある抽象的な事象を空中から取り出せるかどうか、そこが分かれ目です。脳内トップダウン。

何か問題があるとします。それを改善するにはどうしたらよいか?まず考えるべきは、どういう方向性で、あるいはどんな風に改善すべきか、そのイメージを持つことです。それができれば次にその抽象的なイメージをいかに具体化していくか、現実に適合させていくかが考えるべきポイントになります。現実とはつまり、原因と結果と呼ばれる1セットのことです。脳内トップダウン。

抽象的

具体的で目に見える範囲でしか話ができない人たち。現実の何かのとっかかりがなければ推進力を得ることのできない人たち。(果たしてそれが前に進む推進力かどうかは分かりませんが。)些細な、それでいてわかりやすい部分にばかり目を奪われてものごとの真実を見ることができない人たち。そこに見えるのはただただ深い無力感です。脳内ボトムダウンニスト。

・・・・・・

話は少し変わりますが、今回の14兆円補正予算にしてもまさに同じです。些末なところしか見えない方たちがボトムアップで造りあげられた産物のように見えます。ある意味では当たり前の結果です。国政には、日本を抽象的にとらえるための脳みそが存在しないのでしょう。お役人さんたちという具体的な部分を見るための手足はたくさんおられますが。(もちろんそれはそれで重要です。)

僕が今の政治に求めるのは、目に見える選挙対策ではなく、目に見えない抽象概念を少しだけ具体化して国民に示してくれることです。

今現時点で、あなたが考える目標は何なのか。友愛?それならそれで構いません。抽象的で大変立派です。次にそれを少しだけ具体化したビジョンを示してください。もしそれを望むのなら、どうすれば日本の景気は回復するのか。どうすれば日本は幸せになるのか。

例えばこんな風に優先順位をつけて示していただくのはどうでしょう?

��.老後の安心
��.子育ての安心
��.国民の安全
��   :

抽象概念が少しわかりやすくなりました。共有しやすくなりました。そして次のステップとしてより具体的な政策ポリシーへと話を進めていけばよい。

ところで実際問題、老後の安心と子育ての安心こそが日本を豊かにするほぼ唯一の手段であり、そこを第一優先でやってほしい。無駄な借金を老後と子供世代に押しつけるような政策はまったく愚かだと思うのですがどうでしょう?

一言で要約すれば「ポリシーが見えない」ってことです。駄文ダラダラすみません。

・・・・・・

えー、何が言いたかったのかというと僕が思うに大事なのは

・抽象的なイメージを持つこと
・それを具体化していくこと

で、それが本来優先されるべき「考える」という行為ではないかということです。

抽象的ですみません。

2009年6月2日火曜日

1Q84(4)

「1Q84」には、もしかしたら続きがあるんじゃないでしょうか?「ねじまき鳥クロニクル」のときみたいに。前編・後編でなく、あえてBOOK 1、BOOK2としているところも若干怪しい。

それにしても今回は各所各所に過去作品のエッセンスがちりばめられているように感じました。特に感じたのは、たとえば以下の作品

長編だと
・ノルウェイの森
・世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド
・ねじまき鳥クロニクル
・海辺のカフカ

短編だと
・めくらやなぎと眠る女
・4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子と出会うことについて
・神のこども達はみな踊る
・タイランド

これらの作品を思い出す瞬間がけっこうあったように思います。その辺のことはきっと作者も意識しているはずで、そうでなければ「手風琴」なんて言葉をわざわざ使わないですよね。「手風琴」に今回はさほど意味はなさそうですが。そういうのってディープな読者に向けた秘密の暗号みたいで少しだけ嬉しい。

森の中の物語は「海辺のカフカ」で語られましたが、今回はあまり語られていないように感じます。いや、あるいは…。その辺のことはまた読み返した後に書いてみたいと思います。いずれにしても「1Q84」と「海辺のカフカ」には共通点が多くありそうですね。

主人公の性格はいつもどおりなので、その辺では「スプートニクの恋人」を思い出します。あと「蜂蜜パイ」「日々移動する腎臓のかたちをした石」も。

あと牛河という下卑た人物が登場するのですが、それが「ねじまき鳥クロニクル」に登場する牛河と同一人物っぽいのはさておき、彼が手のひらを何度もひっくり返して見たしぐさは僕にあの鼠を思い出させます。彼の存在意義についても極めて興味深い点が多々ありますね。ああ懐かしの羊男は今どこに?

村上春樹さん本人が読者とのやりとりメールの中で明かしていたのですが、彼の作品はすべて「同じこと」を描こうとしています。おおもとのテーマは変わってない。今回の「1Q84」を読んでも、確かにそのことは感じられるような気がします。

BOOK 3、出てほしいなぁ。アレはどうなったの?とかそういう結果的なモノを求める気はないけど、「ねじまき鳥クロニクル」で言うところのナツメグとシナモン的なるものは、まだ登場していませんよね。(あ、そんなこと…ない?)彼らの助けを借りて、青豆を救出してほしい、1Q84から。……ないかなぁ…。

2009年6月1日月曜日

誕生日

年が増えました。

33


1Q84(3)

「1Q84」読み終わりました。

月が2つある世界


気になって外を眺めてみたら月が2つありました。