恥晒し2 僕はいかにして車を失ったか その1

さよならコペン1いつか書こうと思いつつなかなか書けなかったこの話をついに書きます。こんな話をここに書く意味は決して馬鹿自慢なんかではありません。正直に言ってそういう範囲を超えた事態だったからです。自らの反省の意味を込めて、またこれを読む若い人たちの参考になればと思い、本当に恥晒しなんですが書いてみます。

尚、以前ここに書いた以下の記事からの続きって言えば続きになってますので、こちらもご参考に…。
恥晒し、僕はいかにして免許を失ったか(前編)
恥晒し、僕はいかにして免許を失ったか(後編)

僕は2004年2月9日に首都高速道路上で事故を起こし、そのとき乗っていたコペンを廃車にしてしまいました。

��度目のオービスを光らせてしまってから既に2ヶ月以上がたち、いつの間にかまたスピードに関する自主規制が緩まってきていました。これだけは自己弁護として言わせてもらいたいのですが、僕は他の人を乗せてるときや、まわりに車がいるときには、絶対に無茶な運転なんてしません。そのときは夜の高速道路、仕事帰り、そしてまわりに車はいませんでした。

その頃は仕事の忙しさがピークの時期でした。以前も書いた様に仕事が忙しいときは車で会社に行きたくなります。(本当はいけないことなので決してバラさないで)土曜日も働いているような状態で毎日0時近くまで仕事をしてました。(僕にしてはめずらしい状況。いつもはラクばっかしてます)

でもあの日はめずらしく午後8時ごろに仕事を終えることができました。予想外に早く仕事にきりがつき、しかもその日は車で来ていたので、うれしい気分で帰途につきました。しかしあまりにも気温が低く寒かったこともあり、僕にしては奇跡的にその日は屋根を空けずに、ずっと閉じたままで高速道路に乗りました。

��当時住んでいた)千葉の幕張の寮に帰るには2種類のルートが選べます。普段は6号線から小松川・錦糸町を通って京葉道路で幕張に着くルートを使っていたのですが、その日は箱崎インターがあまりに混んでいて(時間が早かったからか)、その横をすり抜けるかたちで「9号深川線」から湾岸線に出るルートを選んでしまいました。

「9号深川線」はちょうど良いコーナー…、じゃなくてカーブが続く高速道路とは思えなくらいツイスティックなルートです。最終的にレインボーブリッジをわたって東京方面に行くことも、湾岸線に抜けて千葉もしくは横浜方面に行くこともできる、バイパス的な役割の道になってます。

僕は当時この「9号深川線」をとても気に入っていました。たぶん人間心理的に結構スピードを出したくなるつくりになっているらしく、多くの車がここではスピードを出します、がコーナーではビビってブレーキを踏んでます。(あー、こんなことを書いている自分の愚かさ・下品さが恥ずかしい。)調子に乗っている大型車をコーナーで圧倒的に抜き去るととても気持ちが良いんです。ベンツや、シーマや、クラウンたちが結構調子に乗ってスピードを出してるんですが、コーナーに入ると僕の軽自動車がひゅるるーんと彼らをパスしていきます。へっへっへ、って当時の自分は思ってました。

そのときは周りにあまり車がいなかったのですが、だいたいそんな感じで走っていました。また車がいなかったからこそいつもよりさらに高いスピードでコーナーを走らせていました。

「9号深川線」にはきつめのS字カーブが2箇所存在しています。その2箇所目、僕はかなり調子にのって最初のカーブ(右コーナー)に突入しました。調子にのってるからほとんど恐怖心は感じていません。気づいたらコペンのリア(おしり)が流れはじめてしまいました。

僕は慌てずにカウンターを切りました。100キロを超えるスピードでカウンターを切ったのは(あの当時は)初めての経験でしたが、精神状態は落ち着いていました。「慌てるな、慌てるな」と自分に言い聞かせます。「ここでブレーキを踏んだら絶対にスピンしてしまう、でも徐々にアクセルを抜いてスピードを落とさないと」

ここはS字コーナーです。走ってもらうとわかりますが、結構きついです。すぐに次の左コーナーが迫ってきます。コペンのリアはそれ以上は流れませんが、果たしてどうやって向きを変えようか…。そう思った刹那、リアのグリップは急激に回復し、今度はカウンターを切っていた方向に車が飛んでいこうとします。

僕はとっさにハンドル操作でこの状況を切り抜けようとします。自分としては瞬時に車の状況を感じて右に左にステアリングを切ります。結局自分のスキル・経験値が足りないということもあったのでしょう。もちろんこういう状況を作り出した自分の心の甘さ・愚かさが第1次原因ではありますが、正直運転がもっと上手かったらとも思います。僕のコペンは完全にコントロールを失いました。この時点で僕は一気に焦りだしました。

ガゴン。右サイドが右のカベにぶつかりました。「衝突した」の方が正しいかもしれません。後から車体を見てわかったのですが、まず右の車体下部が右側のコンクリートの出っ張りにぶつかり、その衝撃で今度は右側の屋根が壁にぶつかっています。ドアは無傷。そのときに右側の窓も粉微塵に割れたみたいです。そのとき僕は必死にハンドルを握ってカウンターを当てていたのですが、右側のひじがその壁にぶつかったらしく、そこを怪我しました。ちゃんと脇をしめて運転しないとね。右側の頭も怪我をしたのですが、これは窓にぶつかったか、窓が割れたときの破片が当たったのかはわかりません。

その瞬間一瞬僕は「あきらめ」の心境に陥りそうになりました。明確に「あーあ」って思ったのを覚えています。でも死は全く感じませんでした。その後車は回転し、四隅をゴンゴンゴンと壁に打ちつけています。体の力を抜き、シートベルトに支えられる形で首を前後左右に揺らしている自分がわかります。でも僕は途中で思い直し「こんなんで死んでたまるか!」ともう一度ハンドルの手に力をいれ、首にもしっかりと力を入れました。車の回転が弱まっていたこともありますが、必死でGに耐えます。でも状況は僕の処理能力を大きく凌駕していました。目の前の景色はよくわからないままに流れていきます。

結局車は1回転して進行方向どおりに、左側車線に収まるかたちで停止しました。もちろんエンストしてるので、僕は慌ててエンジンをかけました。そのときは車はいなかったのですが、いつ後ろから追突されるかわかりません。そこは見通しがわるいS字カーブです。エンジンはかかりました。でもギアが入りません。またエンストします。ダメだ。そのとき僕は視界がぼやけていることに気づきました。メガネがダッシュボードの上に飛ばされていました。(見える範囲のところで本当に良かった。)

僕は車から降りました。タイヤは4本ともパンクし、しかもいくつかのホイルは割れています。しかもタイヤは4本が4本ともとんでもない方向を向いています。一見して自走は不可能だとわかりました。

ちなみに助手席においてあった僕の仕事カバンはなぜか車体の下の右リアタイアの直前にありました。また同じく助手席においてあったサイフは反対側車線の少し離れたところに落ちていました。そういうのを僕はへんに覚めた感覚で眺めていました。寒さからくるものなのか、それだけでないのかヒザはがくがくと震えていました。痛みは全く感じていませんでした。(実際自分では救急車に連絡しようとは全く思いませんでした。)

その後、警察に連絡したり、トラックの運転手たちに助けてもらったりしながら、僕は救急車に乗せられて病院へ。人間てすごいなと思ったのは、こういう特殊な状況下では少々の傷なんて全然痛くないんですね。救急車に乗って10分位して落ち着いてきたころから急激に傷が痛くなってきました。聞けばけっこうむごいことになっているらしい。

でも結局のところ僕は幸運でした。怪我は頭と腕の2箇所で、腕はひじのところで目立つっていてば目立ちますが自分としてはあまり気になりません。頭の傷は今ではまったく見えなくなりました。両方とも10何針縫ってもらいました。右側がコンクリートの壁だったから助かりましたが、これが反対車線のあるような場所だったら間違いなく僕の車は回転して反対車線に転がりこんでいたでしょう。また後続車もあまりなく、追突されることもありませんでした。車の屋根も閉めていました。そしてコペンという車の対衝突性能が優れているということでしょう、また最初サイドからぶつかったということもあるのでしょう(あれで一気にスピードが落ちたはずだから)、あれだけのスピードでぶつかったにもかかわらず命があったんですから。

後から知ったのですが車の事故で死ぬときに、もっとも多い原因が「頭の強打」なのだそうです。もしそういう状況になってもあきらめずに首に力を入れて頑張らないといけません。

こうして僕は大好きだった青いコペンを失いました。写真は首都高速道路の事故車置き場に置かれているコペンです。事故車引取り業者に引き取られる直前の写真です。

重ねて言いますが、この件は本当に僕にとって「幸運」でした。もし後続車がいたら、まわりに車がいたら。自分が死ぬのはよいとしても、他人を巻き込んでしまう可能性もあったわけですから。そう考えると僕は本当に暗い気持ちになります。そして深く反省の気持ちがわいてきます。

尚、この件で警察にお世話になりはしましたが、減点も違反金もありませんでした。ぶつかったコンクリートの壁も全くダメージがなかったみたいで良かったです。

またこの件では警察や救急車、そして通りすがりのトラックの人たち、また病院に迎えにきてもらったイナガキ君ら多くの人にご迷惑をかけ、またお世話になりました。

もう2度とこういうことを起こしてはならない、そう強く思います。皆さんも、こんな愚かな事態とは無縁の人生を送られますように。

さよならコペン2さよならコペン3

しかし悲劇はまだ終わりません。


1 件のコメント :

  1. 通りすがりA2005年12月5日 9:59

    通りがかりのものです。なんとなーくWEB見ててここに到達しました。
    私も10年ほど前(山道でですが)同じような経験があり、読んでいてその時の記憶が鮮明に蘇りました。クルマがコントロールを失って、動きを止めるまでの短く長い時間。その後に起こった様々なコト。
    しかし…人間は忘れる生き物ですね。その時の自戒はどこへやら。
    ��海馬に刻み込まれたスピードへの誘惑はなんと抗いがたいことか。
    たびたびこういった記憶を呼び覚まさないといけませんね。
    そういった意味で、感謝です。

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