過去文書「頑張れ」

2001年8月16日の「カモノハシ日記」に記載

 ときどき「頑張れ」と声をかけるのは良くないことだ、と言う人がいますよね。それよりも「頑張らなくていいんだよ」と言うべきではないかと。震災の時によくこういう話が出ていましたね。もちろん時と場合にはよりますが僕はこの考え方は好きではありません。どうしても「頑張れ」と言って励ましたくなります。「頑張れ」と言おうが「頑張らなくていいんだよ」と言おうが、だいたいの場合それは無責任な響きを持つと言うことくらい僕は知ってるつもりです。

 これがコーチとしての立場と言うことになると話は変わってきます。「頑張れ」という言葉の持つ無責任な響きはそこにはありません。本当に頑張ってほしいから、頑張らせるためにそういう言葉をかけるのです。ほとんどの場合、選手はもうかなり十分に頑張ってるんだということは分かっています。それを知ってなお「もっと頑張れ」と言ってしまう場合が多いのではないでしょうか?それはもちろんその選手のさらなる成長を信じているから、思わず出てしまう言葉なわけです。あるいは僕の能力が足りてなかっただけかも知れませんが…。

 しかし先日、高等部の練習(三部連)を見ていて感じたのは、「さすがにこれでは『頑張れ』なんて言葉はかけられないな」ということです。もちろん僕がコーチだったなら、それを知ってなお「頑張れ」という風に言うことはあると思います。でもあくまで第三者的な目から高等部の練習を見た場合、僕にはもう「頑張れ」と言うことはできませんでした。(「頑張らなくていいよ」と言おうとは全く思いませんが。)

 本当に明らかに頑張ってる人に対して「頑張れ」ということは難しいことです。そんなことを言おうものなら「僕はすでに十分頑張ってる」と反論されそうです。もしくは「僕が頑張ってないように見えるんですか?」と。(あまりにリアルに想像できるから怖いなぁ(笑)。)僕としてはただ単に励ましてあげたいだけなのですが…。

 で、結局僕は何も口にできずにただ見ているだけしかできませんでした。「頑張れ」とも、「そんなに無理しなくていいよ」とも言う資格は僕にはもちろんなかったからです。じゃあ何と言って言葉をかければよかったのでしょうか?誰か教えてください。いいタイムが出た選手には「良かったね、おめでとう」という風に声をかけることができます。でもそうじゃない選手、あるいは限界を超えてしまって練習が不完全にならざるを得なかった選手に対しては何と声をかければ良かったのでしょうか?残念ながら今の僕にはそれに適した言葉を見つける能力が不足しています。僕はただ心の中で励ますことしかできません。何の意味もなく、誰に伝わるわけでもなく。ただ見ているということに何かの作用があることを信じて。

 今回のお盆休み中はけっこうたくさんの時間、高等部の練習を見ることができました。中学部から知ってる子、高等部から入ってきた子ともに本当に頑張っているように僕には見えました。中学部出身の人たちが今も元気に泳いでいるのを見るのは本当に嬉しいことです。練習を見てると彼らがどんなに多くのことを学んできたのか、どれだけたくさん成長したのかということがよく伝わってきます。

 中学部の水泳部は(僕の知る限り)、速く泳げるようになることが第一目標ではなく、水泳部を通じて「人間として大切なもの」を学んでもらうことを大事にしてきました。人間として立派に、そしてできることならば男らしいやさしさを身につけてくれたらいいなと思っていました。水泳のタイムに対する僕の中の関心度は、それほど高くなかったんです。

 とは言うものの、実際に夏場のハードな時期などは特に、目標のタイムをクリアするために頑張ってもらうという意味で、その「タイム」にはこだわることはよくありましたね。もちろんそれはクラブで学ぶべきもっとも大切なことの一つです。目標に向かって頑張る。その過程でみんながみんなを支え合うことの大切さを知ってほしいわけです。

 しかし、高等部はそうではありません。中学部のような生ぬるさは減って、よりハードな厳しさがそこにはあるはずです。

 …とにかく僕が言いたいのは、そんな厳しさの中であんなにも頑張ってる彼らを見ることができたのは、とても嬉しかったと言うことです!



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